目玉焼きはお皿で作る

平塚 徹京都産業大学 外国語学部

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 目玉焼きのことをフランス語で oeufs au plat とか oeufs sur le plat と言いますが、この言い方は少し不思議な気がします。 plat というのは、普通、「皿」と訳されるわけですから、oeufs au plat や oeufs sur le plat では、まるで、「皿に盛った卵」ということになります。 なぜ、このような呼び方なのでしょうか。

 実は、oeufs au plat は、本当はフライパンで作るものではないのです。 レシピー集で oeufs au plat を見ると、 耐熱用の皿にバターを溶かして、そこに卵を入れて加熱して作るのが、本来の正しい作り方です。 この目玉焼きに使う耐熱用の皿のことを plat à oeuf と言い、oeufs au plat の plat はこの耐熱用の皿のことと思われます。

● plat à oeuf がどのようなものか知りたい方は、 ここをクリックすると、 Google の画像検索の結果を見ることができます。

これに対して、フライパンで作る目玉焼きを指す oeufs à la poêle という言い方もあるようですが、 一般的にはこのような言い方は余りしないようで、 実際には、フライパンで作る目玉焼きも、かなり、oeufs au plat と呼ばれてしまっているようです。

 ところで、このような加熱調理に使用する plat は、目玉焼き用の plat à oeuf だけではありません。そもそも、フランス語の plat は、元から加熱調理に使う耐熱用の皿(「焼き皿」とも言います)も指す言葉なのです。 TLFi で調べると、plat は以下のように説明されています。

Pièce de vaisselle plus ou moins creuse dans laquelle on sert les mets et où on peut quelquefois les faire cuire.

つまり、plat というのは料理を盛る食器なのですが、食材を載せたまま加熱調理することもあるのです。 例えば、レストランでエスカルゴ・ブルギニョンを注文すると、たこ焼き器みたいな容器に載って出てきますが、 あの容器は plat à escargots「エスカルゴ用焼き皿」と言います。 また、グラタンを作るための容器は、plat à gratin「グラタン皿」と言います。 他に、plat allant au four「オーブン用焼き皿」、plat à rôtir「ロースト用焼き皿」、plat à poisson「魚料理用皿」といったものもあります。

plat à escargots の画像
plat à gratin の画像
plat allant au four の画像
plat à rôtir の画像
plat à poisson の画像

 それにしても、フランス語の plat と日本語の「皿」では少々違うわけです。 ここで、おもしろいのは、フランス語には、「皿」を指すのに assiette という語もあることです。 このことが、plat と「皿」の違いに関係しているように思われます。 assiette を辞書で引くと、以下のようになっています。

Pièce de vaisselle individuelle, souvent ronde, servant à contenir des aliments.(『プチ・ロベール』)

Pièce de vaisselle à fond plat dans laquelle chacun met ou reçoit ses aliments à table.(TLFi)

plat は大きな皿で、assiette は小さな皿だと言われていますが、 これらの定義を見ると、本質的な違いは、assiette が一人一人が使う皿であるのに対して、 plat は料理を食卓に出すために盛る皿で、そこから各人が assiette に取って食べるわけです。 しかも、料理を plat に盛るのは必ずしも調理後とは限らず、調理する前から食材を plat に載せておいて、調理した後、そのまま食卓に出しても良いわけです。 日本語では「皿」という語に余り調理器具のイメージが無いのですが、plat は調理器具であっても問題ないわけです。 ここら辺が、日本語の「皿」とフランス語の plat / assiette のずれになっているようです。

 しかし、plat の意味はそれだけではありません。 例えば、カミュの「異邦人」に次のようなくだりがあります。(第一部の2です)

 Je me suis fait cuire des oeufs et je les ai mangés à même le plat, sans pain parce que je n'en avais plus et que je ne voulais pas descendre pour en acheter. (Camus, L'étranger)

 新潮文庫から出ている邦訳は次のようになっています。

 自分で、卵をいくつも焼いて、鍋からじかに食べた。パンが切れていたが、部屋を降りて買いに出たくなかったので、パンは我慢した。(カミュ『異邦人』,窪田啓作訳,新潮文庫)

 ここでは、plat は「鍋」と訳されています。 しかし、普通の仏和辞典には plat に「鍋」の意味は載っていません。 plat を鍋と訳すことはできるのでしょうか。 実は、料理用語の辞書を引くと分かりますが、plat は「浅めの鍋」も意味するのです。 例えば、plat à sauter という調理器具があるのですが、これはソテー用の浅めの鍋なのです。 ムルソーは、このような「浅めの鍋」で卵を調理して、皿に盛らずに、そこからじかに食べたという解釈なのでしょう。 先の話を踏まえると、この plat は「焼き皿」のことと考えることができそうに思われるかも知れませんが、 ここの部分は、主人公ムルソーの無精ぶりを表現している訳ですから、 皿に盛るのも面倒で、鍋からじかに食べたという解釈を取ったということだと思われます。

plat à sauter の画像

 ついでに、他の言語ではどのように訳されているか、見てみましょう。先ず、英訳です。

 I cooked myself some eggs and ate them out of the pan, without any bread because I'd run out and I didn't feel like going down to buy some. (Camus, Outsider, Translated by Joseph Laredo, Penguin Books)

 plat は pan と訳されていますが、これには、「平鍋」という意味があります。 邦訳と同じ解釈と考えて良いでしょう。 次は、イタリア語です。

 Mi sono fatto delle uova al burro e le ho mangiate dentro la padella, senza pane perché non c'era e non avevo voglia di andar giù a comprarlo. (Camus, Lo straniero, Traduzione di Alberto Zevi, Bompiani)

 padella となっていますが、これは「フライパン」です。「鍋」と「フライパン」では違うような気がするかも知れませんが、 ソテー用の浅めの鍋である plat à sauter とフライパンを比べると、かなり似ています。 形の上では、plat à sauter は周りが垂直になっているところが「鍋」らしいところなのですが、 そこを除けば、両者は形も使い方も似ています。 それに、「フライパン」は、英語の frying pan から来ていますが、この語構成だと、「フライパン」は pan「平鍋」の一種だと言うことになります。 どうも、ここら辺のカテゴリーのあり方にそもそも違いがあるようです。

 考えてみると、日本語で「鍋」というと、中華鍋のような例外はあるものの、主に煮るために使う調理器具です。 その意味では、フランス語の plat や英語の pan は、日本語の「鍋」のカテゴリーからはかなりはみ出してしまっていると言えます。 そのように考えると、日本語でも、敢えて「フライパン」と訳してしまった方が、「鍋」と訳すよりは、むしろイメージは正しいものに近かったかも知れません。 いずれにしても、フランスと日本では調理器具の体系が異なっているために、訳しにくくなっているわけです。 最後にスペイン語です。

 Cocí unos huevos y los comí solos, sin pan, porque no tenía más y no quería bajar a comprarlo. (Camus, El extranjero, Traducción Bonifacio del Carril, Yohan Publications, Inc.)

 何と、訳し落としています。 おそらく、plat の解釈に悩んだのでしょう。 plat 一語でも、本当に難しいです。


 違う訳者のスペイン語訳を入手しました。

 Cocí huevos y los comí tal como estaban, sin pan porque se había acabado y no quería bajar para comprarlo. (Camus, El extranjero, Traductor: José Ángel Valente, Alianza / Emecé)

 やはり何から食べたかは書かれていませんが、その代わりにlos comí tal como estabanとなっています。 「そのまま食べた」ということでしょう。


 ある方から『異邦人』のドイツ語訳、オランダ語訳、デンマーク語訳をお借りしました。 問題の箇所を確認すると、全て、(フライ)パンや平鍋という語で訳されていました。

 Ich habe mir Eier gebraten und aß sie ohne Brot aus der Pfanne. Ich hatte keins mehr da und hatte auch keine Lust, hinunterzugehen und welches zu kaufen. (Camus, Der Fremde, übersetzt von Georg Goyert und Hans Georg Brenner, Karl Rauch Verlag)

 Ik bakte eieren, die ik uit de pan, zonder brood, opat, omdat er geen brood meer was en ik geen zin had het te gaan kopen. (Camus, De vreemdeling, Vertaling Adriaan Morriën, De Bezige Bij)

 Jeg spejlede et par æ og spiste dem af panden uden brød, for jeg havde ikke mere tilbage og gad ikke gå ned for at købe noget. (Camus, Den Fremmede, Oversat af Magna Hartvig, Gyldendals)



©平塚徹(京都産業大学 外国語学部)

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