夢は見るものか?

平塚 徹京都産業大学 外国語学部

京都産業大学外国語学部では、英語ドイツ語フランス語スペイン語イタリア語ロシア語中国語韓国語インドネシア語を専門的に学ぶことができます。


「夢を見る」は日本語独特の表現か?

 日本語では「夢を見る」と言う。しかし、英語ではsee a dreamとは言わない。夢は目で見るものではないからsee a dreamとは言わないという一見もっともらしい説明もされている。英語だけでなく、例えば、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語などでも、夢を見ることを表すのに、視覚を表す動詞は用いない。とすると、「夢を見る」と言う表現は、見ていないのに「見る」と言う日本語特有のおかしな表現なのだろうか。

注 この説明はおかしい。なぜなら、I saw it in a dream.(私は夢でそれを見た)と言えるからである。もし目で見ていない場合にはseeが使えないのなら、この文も言えないはずだ。

「夢を見る」と言う言語はたくさんある

 実は、世界の言語を調べると、夢を見ることを表すのに「見る」と言う動詞を用いる言語はかなりあるのである(詳しくは拙論 「夢を見ることを表す表現の類型論」を参照)。世界では「夢を見る」と言う表現は普通なのである。更に、「夢」を視覚に由来する言葉で表す言語もある。例えば、ルーマニア語で夢を意味する vis の語源はラテン語の vīsum(見られるもの,光景,幻視,幻像)である。また、アラビア語で夢を表すruʔyā は「見る」という動詞 raʔā と関係している。

「夢を見る」と言う理由は?

 しかし、それでは夢とは見るものかというと、実はそうとも限らない。生まれつき目の見えない人は聴覚や触覚などからなる夢を見るのだそうだ。目の見える人が夢を主に視覚として経験しているのは、覚醒時の経験において視覚が占める位置が重要だからだろう。夢は必ずしも視覚に限定されるわけではないのだが、夢においてもしばしば視覚が重要な位置を占めているために、「夢を見る」と言う表現が多くの言語でなされているということになる。


©平塚徹(京都産業大学 外国語学部)

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