ドーランの語源はドイツ語ではなくフランス語

平塚 徹京都産業大学 外国語学部

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 舞台や映画で俳優が使う油性のおしろいを意味する「ドーラン」の語源は、ほとんどの辞書類でドイツのDohran社に由来するとされている。しかし、フランスのDorin社に由来するという説も見られる。例えば、平凡社『世界大百科事典』は、以下のように説明している。

パリのドーランDorin社から、主として舞台化粧用として発売されていたもので、明治の末ころから日本にも輸入され、<バトン・ドーランbâton dorin>の商品名で売り出された。【中略】一説に、ドイツのドーランDohran社のものが有名だったからともいわれているが、 明確ではない。
(平凡社『世界大百科事典』(1988))

また、楳垣実『日本外来語の研究』では以下のように述べられている。

演劇関係の用語だが、舞台化粧になくてはならない油性化粧料の「ドーラン」、これはいままでドイツの化粧品製造会社Dohran社の名からはいったとの説が一般的で、たいていの辞書にはみなそう出ているが、劇作家北林余志子さんの話によると、たしかにあの化粧品のびんに Dorinと書いてあるのを見られたとのことで、『演劇大辞典』あたりがフランスとドイツとを間違えたのではなかろうかと考えているが、いまのところDorinにまちがいないとは保証しかねる。
(楳垣実(1963)『日本外来語の研究』161ページ)

更に、『キネマ旬報』1956年5月下旬号に掲載された座談会「日本映画と結髪」で、司会の岸松雄が「ドーラン」の由来について述べている。

ぽくの調べたところによりますと、ドーランDORINというのは会社の名なんですね。最初はドーリンと呼んでいたそうじゃないですか。それが後にドーランと読むようになったんですって。
(『キネマ旬報』1956年5月下旬号(No. 146))

Dorin社の歴史についてのページには、1920年頃には同社の製品が世界に広がり、日本でDorinと言えば、white powder(フランス語版ではpoudre blanche)を意味するほどだったとの記述もある(英語版原文はここ。フランス語版原文はここ)。white powder(poudre blanche)は「おしろい」の漢字表記「白粉」を踏まえた用語であろう。このように見てくると、細かい点で気になる所はあるが、基本的にはDorin説が正しいと結論して良いと思われる。

 Dohran説については、古いところでは平凡社『大百科事典』まで遡ることができる。

ドーラン Dohran 元來グリスペイントのことであるが、ドイツのドーラン會社の製品が殊に喧傳されたため、すべてドーランと總稱されるに至った。
(平凡社『大百科事典』第18巻(1933))

しかし、Dohran説を支持する具体的な記述は見当たらなく、また、Dohran社なる会社についての情報も見つからない。ただし、少々変わった説明をしている辞書がある。

ドーラン-けしょう(…しやう)〔Dohran化粧〕[名]フランスのドーラン社が発明し、のちドイツのエル-ライトヒナー会社の製品となった脂肪性の化粧品を用いる化粧。
(新村出編『言林』(1957))

原語綴りはドイツ語風のDohranとなっているが、「フランスのドーラン社」が言及されている。もっとも、フランス語のドーラン社の発明とする記述は疑わしい。また、「エル-ライトヒナー社」というのは、L・ライヒナー(Ludwig Leichner)が設立したライヒナー社のことと思われるが、「ト」の字が余計である。ドーラン社からライヒナー社に製品の継承関係があったかのような記述も疑問である。しかし、フランスのDorin社の製品がライヒナー社の製品に入れ替わっていったということはあっただろうと推定できる。当初はフランスのDorin社の製品が使われたために「ドーラン」と言われたものの、その後ドイツのライヒナー社の製品に入れ替わっていって、「ドーラン」もドイツの会社名だという誤解が生じ、更にはDohranという幽霊語(ghost word)が作り出されてしまったといったところだろうか。



©平塚徹(京都産業大学 外国語学部)

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