量子力学の観測問題

1 章 はじめに

物理学科の学生が、量子力学の講義を聞いたりする時、通常この観測問題は取り上げられない。また普通の量子力学の教科書にはあまり明らかな形でこの問題は議論されていない。その理由はいろいろ考えられるが、問題が難しく、いたずらに混乱を招き、決着がついていないという点からも意味が無いと見なされているからであろう。また具体的な問題を解き、量子力学を理解するという面からも、むしろこの問題に患わされていると、先に進めなくなり学習には障害となるとみなされていると思われる。
そして、物理学の研究者の間にも、むしろこの問題を議論するのをタブー視する風潮があった。年輩の研究者に任された、あまり新しい成果の期待できない研究分野と見なされていたが、近年、観測技術の向上もあり、単に思考実験だけでなく、具体的な物理の問題とみなされるようになってきつつある。

2 章 波動関数と観測量 ー 観測の問題

量子力学においては、系の状態を波動関数 Ψ(ギリシャ文字プサイ)で表す。いま観測したい物理量を F (例えば運動量、位置、角運動量、エネルギー、スピンの向き等)とすると、この F の固有関数 U(m)(固有値 m)を用いて、 Ψ はU(m)の重ね会わせで表せる。

Ψ= Σ(各mについて和をとる)cm U(m)

ここで cm は係数(cmは複素数。|cm|はその絶対値)。そしてこの重ね合わせの係数 |cm|の2乗が、状態 Ψ において F が、測定値 m の値をとる確率を与えるというのが、量子力学の大前提である。

いま状態 Ψ に対して F の測定を行ない、測定値 m を得たとすると、測定直後の状態は U(m)になっている筈であるから、この系は Ψ から U(m)へと変化したことになり、通常これを測定による”波束の収縮”(波動関数の収縮)という。これは観測という系の外部からの測定であり、系にとっては非因果的的なものであり、系独自の因果的な時間的発展を記述するシュレデインガー方程式からは出てこない。つまりこの観測による”波束の収縮”が量子力学の理論対系の中でどのように導出されるのかが、”観測の問題”である。

つまり、観測理論は、対象となる系と測定器系の全体に対して量子力学を適用して、その枠内で”波束の収縮 ”を導くものでなければならない。しかし残念ながら量子力学が形成されてから3/4世紀近くなるが、多数の人に納得されるような観測の理論は未だ無い。

3 章 観測の理論

いくつかの代表的な観測理論を調べることにしよう。

1) N.Bohr

彼は量子力学に従う微視的な対象系と、古典力学に従う巨視的な観測系を区別して、その間に相互作用が働いた時、微視的な系の間の位相の相関が消えて”波束の収縮”が起こると考える。しかし巨視的な観測系も微視的な系の集合体であり、区別する原理が不明確であり、首尾一貫理論とはいえない。

2) J.von. Neumann

これは微視的な系と、巨視的な観測系との相関を考えるが、その段階では”波束の収縮”は起こってはいないとする。むしろ対象系ー測定器ー観測者の目ー視神経ー脳細胞ーとどの段階でも波束の収縮は起こらず、最終的には”抽象的な自我”または”意識”を導入し、そこで波束の収縮が起こるとする。しかしこの理論はどう考えても我々の日常生活の経験に反する。この理論に対する反論としてShredingerはあの有名な猫についてのモデルを提案した。

3) 非可逆過程説

通常、測定器は微視的過程を巨視的過程へ変換するため、熱的な非可逆過程の増幅装値を持っているから、その効果により”波束の収縮”を説明しようとする理論である。つまり観測装置の熱的に準安定状態から、非可逆過程により安定状態へ移行する間に”波束の収縮”が起こるとするのである。しかしこれにも反論がある。つまりいくら観測装置が複雑であろうとも、対象系を含めた系全体の波動関数はshredinger方程式に従う訳で、量子力学から”波束の収縮”が起ころう筈がないとするものである。その他、”否定的観測”(例えばスピン上向き下向きの時、下向き粒子しか測定しないとすると、測定が無いとき、それは上向きということになるーどこで波束の収縮が起こったのか)という問題の指摘もある。

4)多世界理論

波動関数は多くの世界を表現じ、その相互作用により波束が収縮するという考え方。並行宇宙モデルともいう。

5)非干渉

系の波動関数を、対象系、観測系、その回りの環境の直積と考え、その相互作用を考慮することにより、量子的に干渉している対象系が、観測系で非干渉の状態を生ずるとする考え方。

4章 結論

いずれにしても現在、理論的に決着はついていないが、観測技術の進展により、理論的な関心は高まっている。宇宙論においても、宇宙初期の重力の量子化にからんで、いつから宇宙を古典的な描像で考えることが出来るのかという問題がある。ペンローズのように、Schredingerの猫の問題においても、一般相対性理論をとりいれて、宇宙の初期と最終状態の時間的非対称性を考慮しなければならないと主張する人もいる。


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Last modified: Wed May 6 21:27:51 JST 1998