日本語における可能表現の習得過程

 

荒井 文雄

 

要 旨

 

  一人の子どもの2;0から5;8に至る期間の発話記録に基づいて、我々は、子どもがどのように日本語の可能表現を習得してゆくかを研究した。子どもはこの習得の過程で、いくつかの特徴的な「誤用」を生み出したが、我々はこうした「誤用」が、接尾辞付加を介した可能表現の形成規則を子どもが過剰に一般化した結果生じたものであることを明らかにした。また、可能表現の習得においても、子どもはまず聞き取った形態をそのとおりに使用する「保守的な段階」から出発し、規則の習得とそれの「過剰な一般化(overregularization)」を経て、最後に、規則に対する様々な制約を取り入れた慣用的な形態を使用するというプロセスをたどることが明らかになった。こうした一連の習得段階は、英語における語形変化の習得や、荒井(2003)が示した日本語の起因他動詞語彙の習得における諸段階と並行的であることも指摘した。

 

キーワード: 言語習得、日本語、発達段階、過剰な一般化、可能表現。

 

 

Developmental sequence in the acquisition of the Potential construction in Japanese

 

Fumio ARAI

 

Abstract

 

  Based on the longitudinal data collected from spontaneous speech of a child between 2;0-5;8, we studied the acquisition process of the Potential construction in Japanese. In this process, the child made several kinds of errors or deviations from adult norms. Examining the implications of these errors, we found different stages in the acquisition process: a period when the child directly used observed forms, the acquisition of a rule and its overregularization, and finally, the decline of the overregularization. This developmental sequence is parallel to the well-known acquisition process of inflections in English. It is also closely parallel to the stages in the acquisition of Japanese lexical causative verbs, reported in Arai (2003).

 

Keywords: language acquisition, Japanese language, developmental sequence, overregularization, potential construction

 

 

0. 導 入

 

 この論文で、我々は一人の子どもの言語発達を記録したデータに基づいて、子どもがどのように日本語の「可能表現」(益岡・窪田1992: 106-7)の動詞形態を習得してゆくか研究する。

 我々はすでに荒井(2003)において、同じ子どもの発話データの分析を通して、子どもがどのように日本語の語彙的な起因他動詞(transitive causative verb)を習得してゆくか研究し、子どもが異なった習得段階でおかす「誤用」が動詞語彙習得のメカニズムを明らかにするために極めて重要であることを示した。すなわち、起因他動詞の習得は、聞いたとおりに記憶した事例のみを使用する「保守的な段階」から始まり、ついで「規則」の習得を前提とした「過剰な一般化(overregularization)」の時期が続き、最後に過剰な一般化から脱却して慣用的な形態を使用する、という順序で進行した。

 可能表現の動詞形態の習得においても、我々は、起因他動詞の習得過程で観察された諸段階を再確認することができた。可能表現は、大人の慣用では、動詞語幹の種類に応じて適切な接尾辞を選択し、それを動詞語幹に付加することによって形成される。しかし、我々が観察した子どもは、ある時期、特定の接尾辞を慣用で定められた環境以外にも一般化して用いるようになった。この過剰な一般化には二つの段階が観察された。まず、第一に、子どもは可能表現の接尾辞としてrare/areばかりを用い、慣用では可能表現接尾辞eを使用すべき環境でもこの接尾辞を過剰に一般化した。第二の段階では、子どもはこの接尾辞rareを使用するにあたって、接尾辞の第一子音が脱落したareという変異形を用いることをせず、動詞語幹の種類にかかわらずrareを過剰に一般化して用いた。こうした過剰な一般化の時期を経たのち、子どもは慣用にそった可能表現の接尾辞の使い分けを習得し、同時に接尾辞rareの変異形を無視した過剰な一般化も終息した。

 以下、こうした「過剰な一般化」とそれからの脱却の過程を具体的なデータに基づいてみてゆくが、採集されたデータの検討にはいる前に、§1.において、予備的な議論として以下の点を確認しておく。まず、§1.1において言語習得における「過剰な一般化」という概念を、とくに語彙・語形の習得という観点から提示する。ついで、§1.2において、日本語の「可能表現」の文法とその社会言語学的変異を記述し、データを提供した子どもがこの表現に関して置かれていた「言語環境」の再構築をはかる。予備的議論の最後に、§1.3において、この研究の基礎となる資料の性格を検討する。すなわち、発話データの採集方針とそれによる議論の制約を確認し、さらに、その制約に対処するためにとられた措置を明らかにする。

 こうした予備的議論のあと、§2.において対象となった子どもにおける「可能表現」の発達過程を跡づける。さらに§3において、「過剰な一般化」を軸にしたこの発達過程で観察された他の事実に対して説明を試みる。

 

1. 予備的議論

 

1.1 言語習得過程における「過剰な一般化(overregularization)

 子どもは言語習得の開始期には、聞き取ったことばをそのまま「丸暗記」的に産出する。しかし、子どもは、あたかも人間の言語が様々な「規則」の体系によって機能することをあらかじめ知っているかのように、一定の習得段階以後、積極的に「規則」を探し求め、自分なりの「規則」を形成しては、それを実際に使用して試すことを繰り返す。言語現象の様々な局面で観察される類推(analogy)のプロセスを、子どもはこの時期に集中的に応用し、習得すべき言語の正しい規則が何であるか、次々と「仮説」を形成しては、それを検証していると考えられる。この「規則」=「仮説」の検証過程で、子どもはしばしば「過剰な一般化」による間違えをおかす。すなわち、子どもは「規則」の適用範囲にかかわる制約を無視して、見つけ出した「規則」を最大限に適用しようとする。

 過剰な一般化の様相を明解に示す例として、英語における語形変化(inflection)がある[])

 名詞の語形変化を例に取ると、子どもは、たとえばfootの複数形として、最初は不規則形feetを聞いたとおりに記憶して正しく使用する。しかし、その後、子どもが複数形の語形変化の規則(-sの付加)を発見し、それを適用してdogs, boys等の規則的な複数形を作れるようになると、今度はその規則を過剰に一般化して適用しfootsのような誤用を生じさせるようになる。この過程では、すでに習得した不規則形(feet)に規則が余剰的に適用されたfeetsという形態や、最初の過剰な一般化の出力にさらに規則が過剰に適用されるfootsesという形態が生じることもある。このような、ときに重合する規則の過剰な一般化を経たあと、子どもは規則の適用の制限を学び、再び最初の慣用的な形態feetを使用するに至る。動詞の過去形の習得にも同様の段階が見られる。たとえば、goの過去形は、went(聞いたとおりの形態)→goed-ed付加による過去形形成規則の過剰な一般化)→went(慣用形の回復)のように変化する。過剰な一般化の段階で、慣用的な不規則形に規則が余剰的に適用される事例(たとえばcamed)が生じるのも名詞の複数形の変遷と並行的である。

 このような「規則の過剰な一般化」が語彙的な起因他動詞の形成においてもみいだされることを指摘したのはBowerman (1982a, 1982b)であった。Bowermanは子どもが、慣用にない他動詞を創造的に使う、という「誤用」に注目した。すなわち、子どもは慣用にそって自他動詞の区別を守った時期のあと、「自動詞をそのままの形態で他動詞として用いる」という誤用をおかすことがある(たとえば「手元に引き寄せる」という意味で、慣用ならbringという他動詞を用いるところをcomeという自動詞を用いる、など)。Bowermanはこの事実を以下のように解釈する。すなわち、子どもは、大人の言語に存在する同一形態の自・他動詞の対(たとえば自動詞openと他動詞 openの対)に基づいて、自動詞から起因他動詞をゼロ派生させる「規則」を作り上げるが、その規則を過剰に一般化して適用してしまう。その結果、子どもは慣用にない「自動詞と同一形態の起因他動詞」を慣用的な他動詞の代わりに使用するに至るのである[])

 我々は荒井(2003)において、Bowermanが観察した起因他動詞のゼロ派生が日本語の習得過程でも観察されることを示した。さらにそこで我々は、日本語の語彙的起因他動詞の習得過程において使役化の接尾辞saseが過剰に一般化されて付加される段階が存在することを指摘した。たとえば、我々が観察した子どもは慣用的な他動詞「立てる」「起こす」「伸ばす」「付ける」の代わりに、それぞれtat-i-sase-(ru), oki-sase-(ru), nobi-sase-(ru), tuk-i-sase-ruという、いずれも自動詞にsaseが付加した形態を用いた(荒井2003: 20-24)。使役化接尾辞の付加による起因他動詞の形成に関しては、形態音韻論的な側面でも規則の過剰な一般化が観察された。すなわち、慣用では接尾辞saseは母音語幹動詞にはそのままの形で付加され、子音語幹動詞には先頭の子音が脱落したaseの形で付加されなければならないが、子どもは、こうした変異形の使い分けを無視して、接尾辞として常にsaseのみを用いたのである。上に引いた例では母音語幹動詞oki-(起きる)nobi-(伸びる)に使役化接尾辞をsaseの形で付加したのと同様に、子音語幹動詞tat-(立つ)、tuk-(付く)にも、子音の連続を避けるために母音[i]を語幹と接尾辞の間に挿入しつつ、使役化接尾辞を同じ形のまま付加している[])

 可能表現を形成するための接尾辞付加に関しても、荒井(2003)が使役化接尾辞について観察したものとまったく同様な「規則の過剰な一般化」が見られるが、その点は、以下、§2.1で取り上げる。

 

1.2 可能表現に関する子どもの言語環境

 「可能表現」とは「人が持っている行為の能力」または「状況における行為の可能性」(益岡・田窪1992: 106-7)を表す表現で、母音語幹動詞には接尾辞rare、子音語幹動詞には接尾辞eを付加して形成される。しかし、近年、母音語幹動詞にrareではなくreを付加して可能表現を形成するいわゆる「ら抜きことば」が特に若年層を中心に広がっている。これら二つの可能表現の形成法をそれぞれ「標準語型(rare/e型)」と「ら抜き型(re/e型)」と呼ぼう[])。これら二つの型に加えて、大阪府の方言では「ら抜き型」を基本としながら、否定辞(hen)に伴われたときは、母音語幹動詞にはrare、子音語幹動詞にはareを付加する形成法もある(山本1982:320真田1995:208)。この型を「混合型(re/e/(r)are型)」と呼ぼう。これら三つの可能表現の形成法をまとめると以下のようになる。

 

1. 標準語型(rare/e型)

母音語幹動詞+rare 例: tabe-rare-ru (食べられる)

子音語幹動詞+e 例: ik-e-ru(行ける)、 tukur-e-ru(作れる)

 

否定形 (否定辞はna-iのみ)

例:tabe-rare-na-i(食べられない)

例:ik-e-na-i(行けない) tukur-e-na-i(作れない)

           

2. ら抜き型(re/e型)

母音語幹動詞+re  : tabe-re-ru(食べれる)

子音語幹動詞+e  例: ik-e-ru(行ける)、tukur-e-ru(作れる)

 

否定形 (否定辞は関東方言ではna-i、関西方言ではhen) 

例:tabe-re-na-i(食べれない) tabe-re-hen(食べれへん)

: ik-e-na-i(行けない)ik-e-hen(行けへん),

      tukur-e-na-i(作れない)tukur-e-hen(作れへん)

 

3. 混合型(re/e/(r)are型)

母音語幹動詞+re 例: tabe-re-ru(食べれる)

子音語幹動詞+e  : ik-e-ru(行ける)、tukur-e-ru(作れる)

 

否定形(否定辞henが付加されるとき)

母音語幹動詞+rare-hen 例:tabe-rare-hen(食べられへん)

子音語幹動詞+are-hen  例:ik-are-hen(行かれへん)tukur-are-he(作られへん)

 

 さて、ここで、研究の対象となった子どもが可能表現に関してどのような言語環境におかれていたか、検討してみよう。まず、子どもの両親の方言(関東方言)では「標準語型」と「ら抜き型」が混在している。発話データの採集期間、子どもは3;0までは大阪府北東部、3;0以降は滋賀県湖西地域で生活した。大阪府下では、「混合型」が多く用いられるのは上述したとおりである。一方、滋賀県の方言では、否定辞としてhenを用いるが、可能表現の形成法は「ら抜き型」である(かけひ1962(=井上ほか() 1996:43-44)、筧 1982:72)。したがって、子どもは可能表現の形成法として、上の三つのパターンすべてにさらされていたことになる。

 これら三つのパターンのうち、子どもにとって主要な言語環境となったのは、3;0までは両親の「標準語型」+「ら抜き型」、そして、保育園等を通して地域言語との接触が圧倒的に増えた3;0以降は地域言語の「ら抜き型」であると思われる。ちなみに、子どもが最終的に獲得した可能表現の形成規則も「ら抜き型」であった[])

 

 

1.3 言語資料の性格

 この研究のために用いた資料は、対象となった子ども(筆者の息子(第一子))の毎日の生活場面における発話を、日記形式で縦断的に記録したものである。採集者は筆者自身で、子どもとごく希な例外を除いて、毎日接し、目標となる事例の採集に心がけた。しかしながら、採集者が子どもと接する時間は日常生活の中で一定せず、また、子どもが総計でどのくらいの発話をしたかという量的データを取ることも、こうした記録方法では実質的に不可能である。さらに、実験的な手法を用いた調査や、一定の時点での横断的記録による日記データの補正・対照も行っていない。それゆえ、子どもの自発的で「自然な」発話を記録できた反面、採集されたデータに偏りがある可能性も否めない。しかしながら、我々が以下で取り上げる「過剰な一般化」を示す事例には、採集方法に由来する制約にもかかわらず、一貫性と生産性が観察された。データの採集が必然的に部分的にならざるを得ないのに対して、得られた関連事例には体系性が認められたのである。

 この研究のために用いた資料は、「慣用にしたがっていない『誤用』を記録する」という基本方針で、主要なターゲットを動詞の用法に絞って採集された。したがって、採集目標となった事例のコンテクストに含まれていた場合などの偶発的なケースを除けば、慣用にそった「正しい」事例が採集されることは少なかった。このような性格の資料は、子どもが独自の規則を援用して慣用にない形態を過剰に産出した様子をとらえるという目的には適しているが、特定の期間に「慣用形を使用していたかどうか」という問題に確定的な答えを与えることはできない。すなわち、ある形態が「採集されていない」場合、その事実は、その形態を子どもが全く「使用していなかった」ことに由来するのか、それともそれを「正しく使用していた」ことに由来するのか、確定的な判断を下すことができないのである。

 このような採集方法論上の制約をもつ資料をより研究目的に適合させるために、我々は資料の採集時に次のことに留意した。まず、規則の過剰適用による非慣用的な形態が高い頻度で使用された時期には、基本方針に反して、誤用に対応する「正しい」慣用形の出現に注意を払った。非慣用的な形態から慣用的な形態に回帰してゆく時点をとらえるためである。また、いったん慣用的な形態が出現してからは、非慣用的な形態および慣用的な形態の双方を記録する方針でのぞんだ[])。この方針をとることによって我々は、「過剰な一般化」の段階を子どもが徐々に脱し、非慣用的な形態が慣用的な形態に回帰していく様相をとらえることができた。

 資料作成の基になった日々の発話記録は1;10から6;8までとった。そのうち、1;10から2;1に至るまではできる限り発話中のすべての動詞を記録するように意図した。2;2以後は動詞の非慣用形(誤用)あるいは不適切な使用をすべて記録するようにし、時に、上述したようにターゲットを絞って慣用形も記録するようにした。その結果、466の動詞の発話事例を採集した(対照のため採集した6;8以後の2事例を含む)。そのうち、この研究で取り上げる可能表現に関する事例は、「誤用」との対照のために採集した「正しい」用例を含めて61例あった。

 

 

2. 可能表現の習得過程

 

2.1 可能表現の形成と規則の過剰な一般化 

 「可能」の意味、すなわち「人が持っている行為の能力」または「状況における行為の可能性」(益岡・田窪1992: 106-7)を表すために、子どもが初めて動詞に接尾辞を付加して「可能表現」を形成した事例は2;0に見いだされた。以後、2;0-3;0までの期間は、子どもが使用した可能表現の事例を、類似した形態をもつ「受動表現」(益岡・田窪1992: 102-4)の事例とともに[])、慣用形・非慣用形の区別なく採集した。その後、可能表現の非慣用形に目標を絞って採集を続けたが、非慣用形がかなり高い頻度で出現し始めた4;3以降は、対照のために慣用形も採集の目標に入れた。特に、この時点からは、実際に使用された非慣用形に対応する慣用形の出現に注意を払い、4;10にそうした事例の出現を確認した。4;10以降も非慣用形・慣用形の両方を採集の目標とし、慣用形がしだいに優勢になっていく様子をとらえることができた。このようにして採集した事例は61例に及んだ。それらをすべて表1に掲げる[])

 

1

1

2;0

tor-e-na-i

とれない。とって。とってって(=取ってきて)。      

2

2;5

ake-rare-na-i

(父:たーくん、戸あけて)
これ、あけられないよ。

3

2;8

si-e-naku

こんなにいっぱいあったら、おとうさん、たいそうしえなくなっちゃうよ。
= 散らかっていて、おとうさんが体操できない。)

4

2;8

kir-are-ru

(自分で爪を切ってしまって怒られた日の夕方)
たーくん、おつめきられる?(=切ることができるか?)

5

2;9

kake-rare-na-i

(布袋のひもを戸棚の取っ手に掛けようとして)
かけられないよ。

6

3;0

tukur-are-ta

(レゴで何かを作って)
たーくん、ひとりでつくられた。
(すぐ続いて)
ひとりでできちゃったの。

7

3;0

si-(r)a(r)e-ru

雨がふったら、バーベキューしあえる?

8

3;5

yar-are-na-i

やられない。(=することができない。)

9

3;7

mat-e-ran-na-i

(父:ちょっと待ってね。)
たーくん、まてらんない。

10

3;7

kak-e-rare-ru

かけられる。(=書ける)

11

3;8

mot-i-rare-ta

(重い道具箱を両手で持ち上げて)
もちられた。

12

3;8

or-e-rare-ta

(木の細い棒を両手で折って)
おれられた。

13

3;10

tukur-are-ta

(半月形のフランスパンの柔らかいところを取り除き、)
トンネル、つくられたで。

14

3;11

hakob-e-rare-ta

(両手でものを抱えて)
こんなにいっぱいはこべられた。

15

4;0

hair-e-tya-u

(電車の中で、扉に手が挟まると父に警告する)
手がはいれちゃうよ。
(すぐ後)
はいっちゃうよ。

16

4;2

yur-are-ta

(医者の椅子に座っているところを父が服を持ち上げて胸を出させたとき)
おー、おー、ゆられた。
おとうさんがきゅっとつかんだから。

17

4;2

mot-e-rare-ta

(トランプのカードを広げて扇形にして持てる)
じょうずにもてられた。

18

4;2

kak-a-rare-ta

(塩を自分で料理にかけて)
かかられた。

19

4;3

nuk-e-rare-ru

(箱に並べていれてあるひらがなブロックで形を作る)
オー(O)は中がぬけられて、四角はなかなかぬけられない。
ぬく、ぬく、とオー。

20

4;3

kir-are-ta

(ナイフとフォークを使って自分でトルティージャを切って)
きられた。

21

4;3

tor-e-rare-ta

とれられた。
(父:なにが?)
トランプ。

22

4;3

tuzuk-are-ru

 (バスタオルを後ろにたらしてしっぽに見立てる。しっぽが長く伸びている。)
しっぽが長くつづかれる。

23

4;3

kat-e-rare-ta

(父と相撲をして勝つ。父:引き落としだね。)
ひいて、かてられた。

24

4;3

yar-are-ta

やられた。(=することができた。)

25

4;3

mak-e-rare-n-de

(広告紙を丸めて「剣」を作る。それまでは大人に作ってもらっていたが、少しずつ自分でやるようになる。じょうずに丸められる、と主張する。)
たーくん、これをじょうずにまけられんでー。ほら、まくで。
(母に丸めたチラシを見せる)
たーくん、これまいたんだで。

26

4;3

otos-are-nen-de

(レゴの車で他の車をお膳から押し出しておとす)
おとされねんで。

27

4;3

oyog-e-rare-ru

(お風呂で顔を水につけて、泳ぎの練習をする)
プールでも、湖でも、顔をつけておよげられるからな。

28

4;3

oki-rare-ta

(起きあがるとき)
おきられた。

29

4;4

tukur-are-ta

(チラシを丸めて作った「剣」を母に見せて)
ほら、剣つくられた。

30

4;4

todok-e-rare-ta

(テーブルの上にあるレゴブロックに手を伸ばして)
とどけられた。

31

4;4

mi-re-rare-n-de

みれられんで。(=見ることができる。)

32

4;4

muk-e-rare-ta

(「小魚せんべい」の小パッケージを切って、せんべいを取り出して)
たーくん、むけられた。

33

4;5

erab-e-rare-hen

(父:朝、何を食べるの?)
えらべられへん。

34

4;5

sime-rare-ta

(紙飛行機の折り目を一度開いて、また閉じる(=しめる))
しめられたで。とばすで。

35

4;5

monikom-are-ta

(飴を飲み込んでしまって)
勝手にのみこまれた。

36

4;6

ire-rare-ta

(レゴのゴム製のタイヤをホイールにはめることができた)
かあさん、いれられた。

37

4;6

ut-e-rare-ru

(レゴで恐竜を作って)
これ、プテラノドンのおとうさん、ティラノが来たとき、うてられる。

38

4;6

ik-e-rare-hen

(階段を下りようとして。怖くてひとりでは階段を下りられない。)
こわいから、いけられへんな。

39

4;7

naos-e-rare-ta

(ミニカーについている梯子がとれたのを直して)
とれたのが、なおせられた。

40

4;7

naos-e-rare-ru

(レゴで作ったものがこわれたとき)
すぐなおせられるもん。簡単になおせられる。

41

4;7

kowas-e-rare-ru

(レゴで作ったものを解体して)
いっぺんにこわせられた。

42

4;7

kak-e-rare

(手がボールペンの線で汚れているのを説明して)
ボールペンでかけられちゃった。

43

4;7

muk-e-rare-ta

(夏みかんの袋から中身を取り出す)
やったー、むけられたー。

44

4;8

ori-re-na-i

(階段を降りられない。)
おりれない。

45

4;8

huk-e-rare-ru

(ピアノを布で拭こうとして、自分でできるから父にするな、と制止する)
ふけられる。

46

4;8

huk-e-ru

(ピアノを布で拭こうとして、自分でできるから父にするな、と制止する)
ふける。

47

4;8

huk-e-rare-na-i

ふけられない。

48

4;9

mi-re-rare-hen

サッカーがみれられへんから。(=見ることができない。)

49

4;10

mak-e-ru

ぐるぐるまわしてると、自分のお箸におそば、まけ....るで。(mak-e…のところでためらう。mak-e-rareと言いそうになったのを押しとどめたように見える)
まきながらたべんの。

50

4;10

aw-e-na-i

(友だちのジャックが帰る前日に歌を作る)
その日まで、またあえない
ちょっぴりさみしい
えがおのうーたー


It's raining.
It's raining.
How are you today ?

51

4;10

mi-rare-soo

(歌を作る)
自分にとっては
いい夢みられそう

52

4;10

aw-e-ru

(歌を作る)
ブーどん、イカどん、
あいしてるぞー
あいしてないなら
またあえる日
またあえないその日まで
地球はまだまだつづくよー

53

4;11

kam-e-rare-ru

(肉をおいもといっしょに食べるとうまく噛める)
おいもといっしょに食べると、よくかめられる。

54

5;0

tukam-e-ru

たーくんていう名前でよかった。魚もつかめるし、川でおよげるし、トンボもつかめるし。

55

5;0

oyog-e-ru

たーくんていう名前でよかった。魚もつかめるし、川でおよげるし、トンボもつかめるし。

56

5;3

moraw-e-hen

もらえへん...もらわれへんで。

57

5;3

moraw-are-hen

もらえへん...もらわれへんで。

58

5;7

mot-e-rare-ru

ティルは力が強いから、もてられる。
(ティル=アニメの女戦士、ハンドルを持っていられる。)

59

5;7

i-rare-na-i

(歌を作る)
おとうさんの歌
イエ、イエ、イエ、イエ、(Yeah)
あいつはネーブルを
一つ食べると、いきなりかっこいい
あいつなんかにまけちゃいられない
戦って負けても、泣かないぞ

60

5;8

nokos-i-tok-e-ra...

のこしとけら...のこしとける。

61

5;8

nokos-i-tok-e-ru

のこしとけら...のこしとける。

 

 表1に掲げた事例は、子どもが可能表現を習得してゆく過程で、特定の接尾辞付加規則を過剰に一般化して適用し、その結果として、多くの非慣用的な形態を産出した様子を如実に示している。

 この過剰な一般化には、二つの段階が存在した。

 まず、第一段階では、子どもは、可能表現を形成するときに他の接尾辞を排除して接尾辞rareのみを過剰に一般化して使用した。

 子どもがおかれていた言語環境には、可能表現の形成に関して複数の型が存在していた(§1.2参照)が、rareが可能表現の接尾辞として使用されるのは「標準語型」において母音語幹動詞に接続するときだけであり、「標準語型」でも子音語幹動詞から可能表現を形成するさいには、rareではなく、eを付加する必要があった[])。しかし、子どもは、ごく初期の「保守的な」時期が過ぎると、この競合する接尾辞eを、相当期間にわたって用いることをせず、慣用ではeを使用すべき環境でもrareを用いた。この傾向は可能表現が生産的に出現し始めた2;8から4;7まで続き、可能表現の接尾辞として接尾辞eが観察されたのは4;8になってからであった。

 子どもがどのようにrareを可能表現の接尾辞として一般化していったか、事例を通して具体的に見てみよう。上で見たように、大人の慣用でrareが可能表現の接尾辞として用いられるのは、「標準語型」において、母音語幹動詞に後続する場合であり、子音語幹動詞には、異形態の接尾辞eを付加しなければならない(§1.2参照)。実際、子どもは、初めて可能表現が観察された2;0から可能表現が生産的に産出され始めた2;8に至るまで、慣用のとおりにこれら二つの接尾辞を使い分けている(事例1-3)。ところが、この最初期の「保守的な時期」の後、4;7に至るまで、子どもは、子音語幹動詞に接続する場合でも、接尾辞eを使用せず、rareを過剰に一般化して使用している。すなわち、2;8-4;7の間、子どもは母音語幹動詞にrareを付加して慣用的な形態を産出する(事例2, 5, 28, 34, 36)一方で、子音語幹動詞から可能表現を作るときにも、rareを使用し、きわめて生産的に非慣用的な形態を産出した(事例4, 6, 8-14, 16-27, 29-33, 35, 37-43. 合計34)

 2;0における事例1から4;7における事例43に至るまで、可能表現の接尾辞としてeが使われている事例はわずか3例にすぎない。そのうち2例は可能表現が生産的に使用され始める時期、あるいはそれよりずっと以前の時期に観察されている(2;0の事例1、および2;8の事例3)。こうした最初期のeの使用は、2;8以後、rareの過剰な一般化に飲み込まれてしまって、4;8まで再出現しない。§1.1で過剰な一般化を経由した言語習得の順序を概観したが、ここでも、「最初は保守的に慣用形を使用するが、それが過剰な一般化による非慣用形に置き換わる」という習得順序が確認される[10])

 規則の過剰な一般化による「誤用」の第二段階は、接尾辞rareの形態に関係する。

 子どもは2;5から可能接尾辞としてrareを使い始めたが、その時点から3;5までの間、子どもは、この接尾辞の動詞語幹への付加に際して適用される慣用的な形態音韻論的規則を遵守している[11])。すなわち、子どもはこの接尾辞を母音語幹動詞に付加するときにはrareのまま用い(事例2, 5, 7)、子音語幹動詞に付加するときには冒頭の子音[r]が落ちたareの形を用いた(事例4, 6, 8)。

 言いかえれば、子どもは、可能表現の接尾辞としてrareを一般化する点では慣用をはずれていた反面、3;5までは、それに慣用的な形態音韻論的規則を「正しく」適用し、付加する動詞語幹の種類に応じてrareまたはareを選択して用いていたのである[12])

 しかし、3;7以後、接尾辞rareに関する「誤用」は別の展開を見せ始める。3;7以後、子どもはrare/areという二つの形態音韻論的変異形の交替を避け、可能表現が母音語幹動詞・子音語幹動詞のどちらから派生しても、ただ一つの形態rareが用いられるような形成規則を創造した。すなわち、母音語幹動詞にrareを付加する(事例28, 34, 36)のは「標準語型」の通りだが、子音語幹動詞には、子音の重複を避けるために、語幹と接尾辞との間に母音(2例を除いて[e])を挿入してからrareをそのままの形態で付加している。言うまでもなく、子音語幹動詞へのこうした操作は、§1.2で見た可能表現形成のどの型にもない非慣用的な創造である。子どもはこの独自の規則を極めて生産的に適用し、その結果、母音挿入を含む事例は3;7-4;7までに22例(事例9-12, 14, 17-19, 21, 23, 25, 27, 30, 32, 33, 37-43)観察された。

 ここまで見てきた可能表現の形成をめぐる「誤用」は、子どもが、二段階にわたって、可能表現形成のための接尾辞付加規則の主要部分を取り出し、それを過剰に一般化した結果、生じたものであると考えられる。

 子どもは、まず2;8以降、可能表現を形成するための接尾辞から形態論的異形態を排除し、使用する接尾辞をrare一つにした。続いて3;7以降、子どもは、今度は形態音韻論的な変異形を生み出す接尾辞付加規則を排除して、母音挿入を介した独自の付加規則を創造して、音韻論的にも「単一の形態」を一般化した。

 可能表現を形成する接尾辞付加規則から異なった形態を可能な限り排除して接尾辞の形態を単一にするこのプロセスは、「規則を最小化し、それを最大限に用いる」という子どもの戦略をよく示している。

 新しい動詞語彙・動詞表現を獲得してゆく過程で、子どもが慣用に見られる形態的な変異を尊重せず、ひとつの接尾辞を本来の適用条件を無視して使用するという規則の過剰な一般化は、起因他動詞の形成に関しても観察された(荒井 2003: 20-25)。すなわち、子どもはある時期、自動詞に対応する起因他動詞を形成するために、個々の動詞語彙に付随した変異を無視して一律に使役化の接尾辞saseを付加し、その結果、たとえば、慣用形「起こす」の代わりにoki-sase-ru、あるいは慣用形「付ける」の代わりにtuk-i-sase-ru等の非慣用的な動詞形態を独自に創造して使用したのである。

 また、上で見た「母音挿入によって接尾辞の形態音韻論的変異形の交替を防ぐ」という選択も、接尾辞saseの付加のケースと完全に並行的である(荒井2003, 25-26)。すなわち、この接尾辞に関しても、子どもは一時期、動詞語幹の種類に応じた二つの変異形(sase/ase)の交替を嫌い、使用する接尾辞の形態をsaseに統一して、子音語幹動詞にこの接尾辞を付加するときは語幹と接尾辞の間に母音を挿入して、非慣用的な形態を産出したのである(例:慣用nom-ase-ru「飲ませる」に対して、非慣用形nom-i-sase-ru[13])

 起因他動詞の形成および可能表現の形成という二つのまったく異なった領域で、同一の戦略が見出されたということの意義は大きい。すなわち、「ひとつの接尾辞を過剰に一般化して適用することで形態的操作を単純化する」という戦略は、それ自体、領域横断的に一般化されており、動詞語彙・構文の拡張にかかわる形態的操作(接尾辞付加)の習得過程を特徴づけるものだと言うことができる。

 

2.2 慣用への回帰

 ここまで、可能表現の習得過程で子どもがおかした「誤用」を分析し、子どもが二つの側面で規則を過剰に一般化した様子を見てきたが、これら二つの側面は、可能表現を形成するために動詞に接尾辞を付加する、という新規の操作を習得するにあたって、子どもが二段階にわたって規則の過剰な一般化を行ったことを示していた。まず子どもは言語環境中に存在する複数の競合する接尾辞から、rareというひとつの接尾辞を選び出した。ついで子どもは、この接尾辞の形態音韻論的変異形areを排除し、rareという形態をそのままの形で異なった種類の動詞に付加した。時期的な観点からも、過剰な一般化の二側面が段階をなしていることが確かめられる。第二の段階(3;7-4;7)は第一の段階(2;8-3;5)にすぐ後続して展開したからである。これら二つの段階のどちらでも、当初みられる慣用的な「多様な形態」が、非慣用的な「画一化された形態」に置き換えられるという、単純化された規則の過剰な適用に特有な「逆行」が観察された。

 しかし、こうした接尾辞付加規則の過剰な一般化は4;8以後、終息に向かう。まず、4;8からrare以外の接尾辞を用いた可能表現が現れる。事例44では「ら抜き型」のreが使われ、事例46では慣用にそった形で、子音語幹動詞に接尾辞eが付加されている。その後、子音語幹動詞から可能表現を形成する際には、この接尾辞を用いる事例が、rareを用いる事例をうわまわる。すなわち、4;8から5;8まで期間、子音語幹動詞にeが付加される事例が全18例中、8例(事例46, 49, 50, 52, 54, 55, 56, 61)観察されたのに対して、子音語幹動詞+挿入母音+rareという事例は5例(事例45, 47, 53, 58, 60)にとどまる。可能表現の接尾辞としてrareを過剰に一般化する現象がはっきりと減退し、慣用形が進出してくる様子が明らかに見て取れる。

 母音語幹動詞には、「標準語型」にそってrareを付加したケース(事例51, 59)と、「ら抜き型」にそってreを付加したケースがある(事例44)。また、事例48では母音語幹動詞に後続する環境でreがいったんは出現するが、そのあとにさらにrareが重複している。同一環境での二つの接尾辞の競合がこのような誤用を生みだしたと考えられる。これらの事実は、子どもがこの時点で「標準語型」と「ら抜き型」の間でゆれていたことを示している。両親の言語、地域の言語、メディアを通した標準語型の影響等を考慮すれば、ごく自然なゆれであると考えられる[14])

 さらに「混合型」に基づくと思われる事例もひとつある(事例57)。この事例では、「混合型」のとおりに、子音語幹動詞に後続し、かつ否定辞(hen)に先行する環境でeではなく、areを使用している。さらに注目すべきは、この事例は同じ環境でeを用いた発話(事例56)を訂正する形で発話された。§1.2で見たように、こどもの言語環境にはこの「混合型」が優勢ではないにしても存在し、子どもはここではその型にしたがって可能表現を形成したと思われる。

 

3.その他の問題

 

§§2.1-2.2で、我々は子どもが可能表現の形成にあたって、接尾辞をできる限り単一化するという「過剰な一般化」をとおして誤用を産出する様子と、「過剰な一般化」を次第に脱却して、より多様な慣用的用法に回帰してゆく様子を見た。以下、§§3.1-3.3では、可能表現のこうした習得過程にまつわるその他の問題を取り上げ、いくつかの仮説を提示しつつ、説明を試みる。すなわち、§3.1では、単一化される可能表現の接尾辞がどうしてrareになったのか、また§3.2では、rareの形態を維持するために子音語幹動詞とrareとの間に挿入された母音が、どうして[e]であったのか、という問題を考察する。最後の§3.3では、起因他動詞形成の習得過程との時期的な対照をとおして、より大きなスケールで見た言語習得の順序について考察する。

 

3.1 rareの過剰な一般化はどこから由来したのか?

 §2.1でみたように、可能表現をめぐる規則の「過剰な一般化」の第一段階は、この表現を形成する接尾辞としてrareのみを用いることに存していた。しかし、子どもの言語環境中には、可能表現を形成する他の接尾辞(re/e)も存在していた。それでは、なぜ、競合するいくつかの接尾辞の中からrareが「選ばれた」のだろうか。

 §1.2で見たとおり、子どもの言語環境中に存在していた可能表現形成の三つの型の中には、母音語幹動詞と子音語幹動詞の両方にrareを一貫して適用する型はなかった。ただし、注9で指摘したように、局部的には、そのようなパターンが存在した。すなわち「混合型」において否定辞henに先行する場合で、可能表現の接尾辞は母音語幹動詞にはrare、子音語幹動詞にはareが用いられた。それでは子どもは、この局部的なパターンをモデルにして、接尾辞(r)areを過剰に一般化したのだろうか。

 この考え方は以下の理由で支持されない。まず、注5で述べたように、子どもは3;0から保育園生活等を通じて本格的に地域のことばと関わりを持つようになるまで、圧倒的に両親の方言の影響下にあった。それは子どもの語彙、アクセントなどから明らかであった。そして、§1.2で見たように、可能表現に関する両親の方言は「標準語型」と「ら抜き型」の混合であり、両親の方言から「混合型」のパターンを習得することは不可能である。注5で指摘したように、子どもが両親の方言(関東方言)の影響下にあったことは、子供が用いた否定辞が2;5-3;7の間すべてna-iであることからも見て取れる(事例1,2,3,5,8,9)が、この事実は、子どもが「混合型」をモデルとして、可能接尾辞rareを一般化するに至ったわけではないことをよりはっきりと示している。「混合型」では、否定辞はhenであり、この要素の前でのみ、可能接尾辞は(r)areとなるからである。最後につけ加えれば、§1.2で指摘したように、子どもが、3;0以降に接触を持った地域の言語は、「混合型」のいくぶんかの混交はみられるものの、はっきりと「ら抜き型」が優勢であり、子どもが「混合型」に動機づけられると考える根拠はない。

 可能表現の接尾辞としてrareを選択して、過剰に一般化することが、言語環境からは動機づけられないとすると、なにが子どもをそのような選択に導いたのだろうか。

 rareという接尾辞は言うまでもなく「受動表現」を形成する接尾辞でもある。そして受動表現の形成において、この接尾辞は母音語幹動詞にも子音語幹動詞にも適用され、後者の場合には冒頭の子音[r]が落ちて、areという形で付加する[15])。このことは受動表現の接尾辞rareが可能表現における過剰な一般化のモデルとなった可能性を示唆する。実際、我々は、以下のような理由で、可能表現の接尾辞として過剰に一般化された接尾辞rareが、受動表現を形成するrareから由来したものとだと考える。

 可能表現が使われ始めたのとほぼ同時期に、受動表現を形成するrareの使用も始まった。表2に採集した受動表現の事例を掲げるが、§2.1で指摘したように、この表現に関しては慣用形と非慣用形の両方を採集するように意図した。

 

2

1

2;8

iw-are-te

(「魔笛」のパパゲーノのまねをして、父母が"Zurük“と言うと、立ち止まって驚いたまねをして笑う)
かあさんもツリュといわれて。
(=かあさんに対しても「ツリュ(Zurük)」と言ってほしい。)

2

2;9

okor-are-tya-ta

(「魔笛」のDrei Damenがパパゲーノを「パパゲーノ!」と言って叱るところで)

おねえさんたちがおこられちゃった。

3

3;4

iw-are-tya-ta

(歯磨きの後、口を開いて見せたら、祖母が「合格」といったのを母に報告)
バーちゃんが合格っていわれちゃった。

4

3;4

nuk-as-are-ta

かあさん、はいしゃさんいって、ぬかされたの?
たーくん、ここぬかされたの。

5

4;2

nuk-e-rare-ru

嘘ついたら、閻魔さんに舌ぬけられるで。

6

4;5

kir-are

怪獣しんだ。首きられて、うてられて。

7

4;5

ut-e-rare-te

怪獣しんだ。首きられて、うてられて。

8

5;5

das-are-te

(カードゲームの「Uno」をしていて)
おれにわざとそんする気か?ドローツーをだされて。

 

 最初に受動表現が確認されたのは2;8であった。§2.1に掲げた表1の事例3から始まる諸事例が示すように、この時期は可能表現が生産的に使われはじめた時期に重なる。

 接尾辞rareは、この時点で可能表現・受動表現両方に用いられる汎用の接尾辞であったと我々は考えるが、それには以下のような理由がある。

 まず、当然のことながら、rareは受動表現の接尾辞であると同時に、「標準語型」では、可能表現としても用いられる同音異義(homonym)の接尾辞である。また、可能表現と受動表現は動詞が取る項(名詞句)の「格」に関しても一部共通点がある(益岡・田窪1992: 102-104, 106-107)。さらに、受動表現の接尾辞はrareに限られ、これは子どもが接触を持ったどの方言でも同じである。子音語幹動詞に接続する場合に先頭の子音[r]が落ちることに関しても方言間で差異がなく、また、この形態音韻論的変異形areの生成自体、他の接辞にも適用される最小限の形態音韻論的操作に基づいている。すなわち、受動表現の接尾辞rareは非常に変異の少ない「安定した」接尾辞であると言える。

 こうした事実は、可能表現の形成に関してできる限り変異の少ない規則を取り入れてそれを最大限に一般化しようとしていた子どもに、受動表現と可能表現の両方を形成する接尾辞としてrareを採用する動機づけを与えたと思われる。言いかえれば、この時点での「規則の過剰な一般化」は、単に可能接尾辞としてrareのみを用いたということにとどまらず、rareを可能・受動両方に用いられる単一の接尾辞とした、より広範囲なものだと言える。これによって、可能表現の接尾辞としてrareが一般化されたことだけでなく、そのrareが、子どもが利用できた言語環境における可能表現形成のどの型にもモデルがないにもかかわらず、子音語幹動詞に付加されるときには、受動表現接尾辞として使われたときと同じ形態音韻論的変異形(are)を生じさせたことが説明される。

 すでに注12で言及したが、ここで、子音語幹動詞にareが付加された可能表現に関する興味深い傾向を指摘しておこう。表3に、該当する事例を表1から抜き出して掲げる。事例番号は表1における番号である。

 

3

4

2;8

kir-are-ru

(自分で爪を切ってしまって怒られた日の夕方)
たーくん、おつめきられる?(=切ることができるか?)

6

3;0

tukur-are-ta

(レゴで何かを作って)
たーくん、ひとりでつくられた。
(すぐ続いて)
ひとりでできちゃったの。

8

3;5

yar-are-na-i

やられない。(=することができない。)

13

3;10

tukur-are-ta

(半月形のフランスパンの柔らかいところを取り除き、)
トンネル、つくられたで。

16

4;2

yur-are-ta

(医者の椅子に座っているところを父が服を持ち上げて胸を出させたとき)
おー、おー、ゆられた。
おとうさんがきゅっとつかんだから。

20

4;3

kir-are-ta

(ナイフとフォークを使って自分でトルティージャを切って)
きられた。

22

4;3

tuzuk-are-ru

 (バスタオルを後ろにたらしてしっぽに見立てる。しっぽが長く伸びている。)
しっぽが長くつづかれる。

24

4;3

yar-are-ta

やられた。(=することができた。)

26

4;3

otos-are-nen-de

(レゴの車で他の車をお膳から押し出しておとす)
おとされねんで。

29

4;4

tukur-are-ta

(チラシを丸めて作った「剣」を母に見せて)
ほら、剣つくられた。

35

4;5

monikom-are-ta

(飴を飲み込んでしまって)
勝手にのみこまれた。

57

5;3

moraw-are-hen

もらえへん...もらわれへんで。

 

 子音語幹動詞にareが付加されて可能表現を形成した事例は、データを採集した全期間をとおして表3に掲げた12例あった。このうち、動詞語幹が[r]で終わる「r語幹動詞」が3分の28(事例4, 6, 8, 13, 16, 20, 24, 29)をしめる。言うまでもなく、r語幹動詞にareを付加すれば、r-areという連続が得られる。可能表現の形成に関して単一の接尾辞rareの使用を最大限拡大することが望ましかった状況において、この事実は子どもに変異形areの使用を動機づける一要因になったと思われる。特に、§2.1で見た母音挿入によってrareの形態をそのまま使用する形成法が始まる時期に重なる4;2までは、are付加されたのがすべてr語幹動詞であったことは注目に値する。

 

3.2挿入母音はどうして[e]なのか?

 §2.1で見たように、子どもは3;7以後、単一の形態rareの使用をさらに推し進め、可能表現が母音語幹動詞・子音語幹動詞のどちらから派生しても、rareがそのままの形で使用されるような形成規則を創造した。すなわち、rareを子音語幹動詞に付加するときは、子音の重複を避けるために、語幹と接尾辞との間に母音を挿入してからrareをそのままの形態で付加するという非慣用的な形成規則を適用したのである。そして、そこで挿入される母音はほとんどのケースで[e]であった。すなわち、3;7から5;8までの母音挿入の総事例27例(表1:事例9-12, 14, 17-19, 21, 23, 25, 27, 30, 32, 33, 37-43, 45, 47, 53, 58, 60)のうち、[e]の挿入は25例あり、[e]挿入以外の例は[i]挿入(事例11)および[a]挿入(事例18)が各1例あるのみである。

 母音挿入を介してrareを付加することで、可能表現の接尾辞をrare一つに絞るという選択は、「最小限の要素を最大限に用いる」という戦略の応用として理解できる。しかし、そのさい、挿入される母音がどうして圧倒的に[e]であるのか説明される必要がある。以下、こうした挿入母音をめぐる問題を、荒井(2003)で検討した起因他動詞形成のための接尾辞付加のケースと対照しつつ論ずる。

 §1.1および§2.1で見たように、我々は,荒井(2003: 25-26)において、子どもが一時期(2;9-3;11)、起因他動詞を形成する使役化接尾辞の使用においても、動詞語幹の種類に応じた二つの形態音韻論的変異形(sase/ase)の交替を嫌い、母音挿入という手段を介して使用する接尾辞の形態をsase一つに統一するという「誤用」を頻繁に生み出したことを指摘した。そのさい、子音動詞語幹と使役化接尾辞との間に挿入される母音は、圧倒的に[i]であった(例:nom-i-sase-ru*飲みさせる)、tat-i-sase-ru (*立ちさせる)[16] )。ここで挿入母音として[i]が用いられたことは、子どものその時点での言語習得状況から十分に動機づけられていると思われる。すなわち、子どもはそれまでに、「願望」を表すtaiの付加に関して、挿入母音[i]を介した動詞部の形成規則を習得し、それを誤りなく用いている(例:hak-i-tai(はきたい)asob-i-tai(あそびたい))。挿入母音[i] を介したtaiの付加は2;1から始まり、sase付加の過剰な一般化が始まった2;9に至るまで、誤用はまったく観察されなかった。このtai付加による「願望表現」と、sase付加による他動詞化・使役化構文との間には機能的な類似がある。すなわち、この時期に観察されたsase付加動詞文のほとんどは「動詞テ形」で終わり、願望・要求を表す発話を形成していた(例:(飲み物を)「飲みさせて。」、(ものを)「持ちさせて。」等)。これらのことを考え合わせると、子どもがsase付加に関する独自の規則を創造したさいに、挿入母音として[i]を選択したことは十分に理解される。

 これに反して、子どもがrareの過剰な一般化のために挿入母音として選択したのが[e]であったという事実に関しては、saseのケースのような「自然」な動機づけを見出すことができない。挿入母音[e]を介して子音語幹動詞と他の要素が接続する複合動詞述語の形成は観察期間を通して存在しなかった。このことは、挿入母音として[e]を用いたことの動機づけを、子どもの言語習得状況の他の側面に求めることができない、ということを意味する。すなわち、[e]の選択に関しては、可能表現の習得過程の中に独自の動機づけが存在する、と考えられる。

 このことを踏まえると、挿入母音[e]は以下のように位置づけられると考えることができる。

 §3.1で見たように、接尾辞rareは、子どもにとって、最初は可能表現と受動表現の両方に用いられる汎用の接尾辞であった。それが、3;7になって、子どもは可能表現形成の「標準語型」もしくは「ら抜き型」(§1.2参照)にしたがって、子音語幹動詞から可能表現を形成するときは、接尾辞eを付加することを試行し始めた。しかし、これをすぐにはrareと置き換えることはせず、二つの接尾辞を余剰的に重複させて使用したと考えられる。この考え方は、この時期の別のタイプの誤用からも支持される。それは、母音語幹動詞から可能表現を形成する場合、単にrareを付加するのではなく、「ら抜き型」にしたがっていったんreを付加した後に、さらにrareを付加している事例である(mi-re-rare-n-de (1/31)mi-re-rare-hen (1/48))。

 過剰な一般化と慣用への回帰の過程で、子どもが形態的な操作を重複させることがあるのはよく知られている。§1.1で見たように、英語においてはたとえば、footの複数形が一時期feetsfootsesになったりするケース、comeの過去形がcamedになったりするケースがこれにあたる。Bowerman (1982a: 53)では起因動詞化の接尾辞-enが重複して付加されたstraightenenの例が報告されている。また、我々は荒井(2003: 24-25)で子どもが起因他動詞を形成するとき、自動詞に使役化の接尾辞saseを過剰に一般化して付加するばかりでなく、すでに形態的に他動詞であるものにまでこの接尾辞を付加する例を数多く示した。可能表現形成におけるe+rarere+rare)の連続もこうした剰余的な形態重複の一例としてとらえることができる。

 挿入母音[e]を上のようにとらえると、本節で取り上げた誤用には二つの側面があることがわかる。まず、§21で見たように、子音語幹動詞に挿入母音を介してrareを付加することで、可能表現の形成から接尾辞の形態音韻論的変異形を排除することができた。興味深いことに、この方向の過剰な一般化は受動表現の形成にも及んだ。すなわち、表2の事例 5, 7が示すように、子どもは受動表現を作るときにも子音語幹動詞の後に[e]を挿入し、そこにrareを付加している。

 この誤用の二番目の側面は、上で見たように可能表現形成の異形態eの導入である。この操作はまさに過剰な一般化からの脱却の第一歩である。子どもはここで、過剰な一般化のさらなる推進と、それからの脱却という二つの相矛盾するタスクを同時に行っているように見える。

 

3.3 異なった領域にまたがる習得段階の分布  

 前節で見たように、可能表現の習得過程と起因他動詞の習得過程には、「過剰な一般化」という観点から多くの共通点があった。本節では、この二つの領域での習得過程を年齢的なスケールを導入して比較し、各領域での習得段階間の関係を考察する。

 まず、起因他動詞形成の習得過程を、荒井(200324-26)にそって見直してみよう(§1.1および§2.1も参照)

 

29-2;11 起因他動詞の形成のために接尾辞sase の付加を過剰に一般化した最盛期。子音語幹動詞には、[i]を挿入した後にsaseを付加する。

3;4-  sase/aseの形態音韻論的変異形の使用始まる。子音語幹動詞に接続したときにはaseが用いられる。以後、as等、他の異形態も観察される。

3;11 子音語幹動詞+[i]saseの最後の例が観察される。3;11より後には、このタイプの誤用はない。

 

 続いて、§§2.1-2.2で見た可能表現形成の習得過程を見直してみよう。

 

2;8-3;5 母音語幹動詞にはrare、子音語幹動詞にはareを付加して可能表現を形成。

3;7-4;7 子音語幹動詞に挿入母音[e]を介してrareを付加する。4;2-4;7が最盛期。この時期にはこの形成法が受動表現にも及ぶ。

4;8-  可能表現の接尾辞としてeを単独で使用し始める。これ以後、子音語幹動詞+[e]rareの形は衰退する。

5;7 子音語幹動詞+[e]rareの形の最後の事例が観察される(5;8には中途で訂正する事例あり)

 

 これら二つの領域における習得段階を、共通の時系列にそって以下の表4にまとめてみよう。(Vc:子音語幹動詞、Vv:母音語幹動詞、−:当該形態が観察された期間、=:当該形態の「最盛期」)

 

表4

 

形態/時期

2;6     3;0      3;6      4;0       4;6      5;0      5;6      6;0

1

Vc+i+sase

      ==­=----------- - -  - - 

2

sase/ase

                 - - - - --------==========================================

3

rare/are

     -----------------

4

Vc+e+rare

                      --------------------==========---------- - - - - - - -  -  -

5

Vc+e(Vv+re)

                                              ---=======================

 

 

 表4から、子どもが、起因他動詞および可能表現の形成という二つの領域で、同じ種類のタスクを異なった時期に割り当てているのがはっきりと見てとれる。起因他動詞の形成において母音[i]の挿入を介して単一の接尾辞saseを極めて生産的に用いた時期には、可能表現の形成ではrare/areという変異形を使い分け、慣用に近い「保守的」な段階にとどまっている(4の第1行と第3行参照)。この「子音語幹動詞+[i]sase」という形成法が終息に向かい、代わってsase/aseという異形態の使用が始まりだした時期(3;4-3;11)に、可能表現の形成に関しては、ちょうどそれと逆行する変化が現れる。すなわち、rare/areの異形態の使い分けをやめ、「子音語幹動詞+[e]rare」という形成法が始まるのである(4の第14行参照)。この形成法は可能表現における過剰な一般化の最終段階をなすが、それが最盛期を迎えるのは、起因他動詞形成における過剰な一般化の極限である「子音語幹動詞+[i]sase」という形成法が完全に終息した3;11のすぐ後である。

 同一時期に、起因他動詞および可能表現の形成という二つの領域で起こっていることは相補的な関係になっている。一つの領域で「冒険的に」規則の一般化の限界を探っているときは、もう一つの領域では比較的「保守的」に振舞うのである。この相補的な関係は偶然の結果ではなく、その背後に、さまざまな規則適用の試みを調整する機能的な原則が存在しているように見える。あたかも子どもは、同時にいくつもの領域で冒険的な試みに取り組むのは負担が大きく、混乱を招くということを知っていて、一つの試みに一定の「結論」を出してから次の試みに移る、という原則に従っているかのように見えるのである。

 

4. 結論

 

 この研究で、我々は、2;0から5;8にいたる期間に採集した発話資料に基づいて、子どもが規則の「過剰な一般化」とそれからの脱却という段階を経て、日本語の可能表現を習得してゆく過程を明らかにした。すなわち、子どもはまず、慣用形のみを使用する「保守的な時期」から、二段階をなす「過剰な一般化」へと向かい、それぞれの段階に特有の誤用を生み出した。可能表現形成のための接尾辞付加規則は、段階が進むにつれていっそう単純化されたが、子どもは最後には過剰な一般化から脱却し、慣用的な接尾辞の多様性を獲得した。

 我々はすでに荒井(2003)において、日本語の起因他動詞の習得過程で、規則の過剰な一般化とそれからの脱却という習得段階が存在することを示したが、この研究で、可能表現の習得においても同様のプロセスが存在することを明らかにした意義は大きい。起因他動詞であれ、可能表現であれ、接尾辞付加による動詞述語の形成を習得するさいに、子どもが同じ習得原理に従っていることを示すことができたからである。この原理は英語の語形変化や起因他動詞の習得において働いているものと同じであり、言語の違いを越えて、それぞれの領域で過剰な一般化に特有な「誤用」が生み出すされるのもこの原理の働きによる。

 我々は、可能表現の習得に関する上記のプロセスにおいて観察されたさまざまな付帯的な事実に対しても説明を試みた。すなわち、可能表現の接尾辞rareと受動表現との関係、過剰な一般化の第二段階で見られる挿入母音[e]の性格、そして起因他動詞と可能表現の習得段階の間にある時間的関係について一貫性のある仮説を提出することができた。

 



[]) 英語の語形変化の習得に関しては、膨大な文献があるが、我々はBerko (1958), Ervin (1966), Bybee and Slobin (1982), Marcus et al.(1992), e Villier, P. A. and J. e Villier (1985), e Villier, P. A. and J. e Villier (1992), Flavell, J.H., P.H.Miller and S.A.Miller(1993), Pinker(1999)を参照した。

[]) 「過剰な一般化」に関するBowerman (1982a)の議論については荒井(2003: 2-5)を参照されたい。

[]) Kato and Kato(1983)にも同様の事例が記録されている。

[]) 1995年の文化庁による「国語に関する世論調査(平成7年度)」によると、「標準語型」の「食べられる」を用いる人は全年齢層で見ると 67.3%だが、十代では男性54.4%、女性46.0%が「ら抜き型」の「食べれる」を使用している。また、どちらの型も用いる人が全体で5.0%存在しており、このカテゴリーの人は2000年の調査では6.3%に増加している。

[]) 3;0まで子どもが両親の方言の影響下にあったことは子どもが用いた否定辞の種類によく現れている。関東方言の話者である両親と同じく、子どもは3;7まで否定辞としてna-iを使用していた。その後、4;4以降は関西方言のhenが優勢となる。子どもが大阪府北東部に暮らしたのは3;0までであることを考慮すると、その地域の可能表現のパターンである「混合型」が子どもに大きな影響を与えたとは考えられない。一方、3;0以後に暮らした滋賀県湖西地域にも、「混合型」を用いる話者が存在しており、この型の影響が3;0以降も皆無ではないことも事実である。

[]) ただし、慣用形の記録は非慣用形の記録よりも「記録漏れ」の可能性が高いと考えられる。子どもによる非慣用形の使用は観察者の注意を直ちに引くが、慣用形はそれが生活場面において「自然」であるゆえに、観察者の注意を逃れる可能性が多々あると考えられる。

[]) 採集した受動表現は§3.1に、表2として掲げる。

[]) 以下、事例を掲げる表には、列ごとに左から、「通番」、「発話時の子どもの年月齢」、事例の「(略式)音声表記」、「発話のコンテキストおよび注釈」を記載する。

[]) §1.2で見たとおり、子どもの言語環境中に存在していた可能表現形成の三つの型の中には、母音語幹動詞と子音語幹動詞の両方にrareを一貫して適用する型はなかった。ただし、一つだけ、局部的には、そのようなパターンが存在した。それは「混合型」において否定辞henにともなわれた場合で、可能表現の接尾辞は母音語幹動詞にはrare、子音語幹動詞には先頭の子音が脱落したareが用いられた。しかし、本文§3.1でみるように、この局部的なパターンがrareの過剰な一般化のモデルとなった可能性はない。

[10]) 可能表現の接尾辞としてeが用いられているように見えるもう一つの例は事例15であるが、これは意味的に自動詞「入る」の可能表現であるかどうか、疑わしい。状況から、hair-e全体が他動詞「入れる」に対応する自動詞として使われている可能性がある。すなわち、この誤用は可能表現に関するものではなく、自動詞化に関するものだとも解釈できる。

[11]) 接尾辞rareは母音語幹動詞にはそのままの形で付加するが、子音語幹動詞に直接後続するときは、先頭の子音[r]が脱落したareの形で付加する。この形態上の変異は、この接尾辞以外にも広く適用される一般的な形態音韻論的規則によって生じる(黒田1960: 58-65)。したがって、rare/areという形態音韻論的変異は、たとえば可能表現の「標準語型」において、接尾辞としてrareおよびeという二つの「異形態」が存在することとはまったくレベルの異なる問題である。我々はrare/are一つの形態とみなし、「標準語型」におけるrare/eの異形態の対立とは区別して考える。

[12]) 3;5までにareが付加されたのは、子音語幹動詞のうちでも語幹が子音 [r]で終わるr語幹動詞に限られている(事例4, 6, 8)。本文§3.1で後述するように、r語幹動詞に付加するときは、特にareの使用が動機づけられるようであり、この傾向は3;7以後も続く。

[13]) 伊藤(1990: 70-71)も可能表現として「イケラレナイ」(ik-e-rare-na-i)という誤用を観察している。我々と同じく、伊藤はこれを、起因他動詞の形成過程でsaseを過剰に一般化して「ノミサシテ」のような誤用を産出することと並行的である、ととらえている。

[14]) 事例5159は、子どもが「歌を作る」という状況で採集された。発話は「歌詞」であり、その点で日常生活の中での発話とは談話のレベルが異なる。この二つの事例で「標準語型」が用いられているのはこうした発話の性格が関与しているかもしれない。

[15]) すなわち、受動表現は、以下に例示するように、母音語幹動詞にはrareを、子音語幹動詞にはareを付加して形成される。(寺村 1984:52、村木1991:58)

母音語幹動詞:mi-ru(見る) → 受動表現:mi-rare-ru (見られる)

子音語幹動詞:damas-u(だます) → 受動表現:damas-are-ru(だまされる)

[16]) Kato and Kato(1983)に記録された同様の事例においても、挿入母音は圧倒的に[i]である。

 

 

参考文献

Berko (1958): “The child’s learning of English morphology”, Word 14, pp. 150-177.

Bowerman, M. (1974): “Learning the structure of causative verbs: a study in the relationship of cognitive, semantic and syntactic development”, E.Clark (ed), Papers and reports on child language development, No.8, pp.142-178, Stanford University Committee on Linguistics.

Bowerman, M. (1982a): "Evaluating Competing Linguistic Models with Language Acquisition Data: Implication of Developmental Errors with Causative Verbs", Quaderni di Sematica 3, pp. 5-66.

Bowerman, M. (1982b): “Reorganizastional processes in lexical and syntactic development”, in E. Waner and L. Gleitman (eds), Language Acquisition: the states of art, Cambridge University Press, Cambridge.

Bybee, J. L., and D. I. Slobin (1982): "Rules and schemes in the development and use of the English past tense", Language 58, pp. 265-89.

Clark, E.V. (1993): Lexicon in Acquisition, Cambridge University Press, Cambridge.

de Villier, P. A. and J. de Villier (1985) : “The acquisition of English”, in D.I. Slobin (ed) Cross-linguistic Studies of Language Acquisition , Lawrendce Erlaum Associate, Hillside, N.J..

de Villier, P.A. and J.de Villier (1992): “Language Development”, M.H.Bornstein and M.E.Lamb (eds), Developmental Psychology: An Advanced Textbook, Lawrendce Erlaum Associate, Hillside, N.J..

Ervin (1966): “Imitation and structural change in children’s language”, in Lenneberg (ed), New Directions in the Studies of Language, MIT press, Cambridge, Mass.

Flavell, J.H., P.H.Miller and S.A.Miller(1993): Cognitive Development, Prentice-Hall International, Englewood Cliff, N.J..

Kato, Y. and N. Kato(1983)“Acquisition of causative morphology: a case of a Japanese three-year-old”, Sophia Linguistica 13, pp.90-99, Sophia University, Tokyo.

Marcus, G.F., S.Pinker, M.Ullman, M.Hollander, T.J.Rosen and F.Xu (1992): Overregularization in Language Acquisition, Monographs of the Society for Research in Child Development, Serial No.228, Vol.57, No.4.

Pinker, S. (1989): Learnability and Cognition, MIT press, Cambridge, Mass.

Pinker, S. (1999): Words and Rules, Basic Books, NY.

Slobin, D.I. (1973): "Cognitive prerequisites for the acquisition of grammar", in C. A. Ferguson, D.I. Slobin (eds), Studies of Child Language Development, Holt, Rinehart & Winston, New York.

荒井 文雄(2003)「日本語における起因他動詞の習得段階―起因他動詞をめぐる誤用のもつ意味―」、『京都産業大学論集』、人文科学系列第30号、pp.1-38

伊藤 克敏(1990):『こどものことば』、勁草書房。

飯豊 毅一・日野資純・佐藤亮一(編)(1982)、『講座方言学 7−近畿地方の方言−』、国書刊行会。

井上史雄・篠崎晃一・小林 隆・大西拓一郎 () (1996)、『日本列島方言叢書N 近畿方言考B 滋賀県京都府』、ゆまに書房。

かけひ もとき(1962)、「滋賀県方言」、『近畿方言の総合的研究』所収、(井上史雄ほか() (1996)pp.17-73に再録)。

筧 大城(1982)、「滋賀県の方言」、飯豊 毅一ほか編(1982)pp.55-86

黒田成幸(1960)、『言語の記述』、研究社。

真田信治・宮治弘明・井上文子(1995)、「紀伊半島における方言の動態」、徳川宗賢・真田信治編(1995)、第4章、pp.81-102

真田信治(1995)「大阪ことばの変容をめぐって−K氏との対話−」、徳川宗賢・真田信治編(1995)、第9章、pp.201-214

寺村 秀夫(1984):『日本語のシンタクスと意味 U』、くろしお出版。

徳川宗賢・真田信治(編)(1995)、『関西方言の社会言語学』、世界思想社。

文化庁文化部国語課(編)(1995)、『国語に関する世論調査(平成74月調査)』、大蔵省印刷局。

堀井令以知(1982)、「近畿方言の概説」、飯豊毅一ほか編(1982)pp.1-25

益岡隆・田窪行則 (1992)、『基礎日本語文法 改訂版』、くろしお出版。

村木新次郎(1991)、『日本語動詞の諸相』、ひつじ書房。

山本俊治(1982)、「大阪府の方言」、飯豊毅一ほか編(1982)pp.195-228