書評「学校回避」への都市社会学的アプローチ

M.Oberti : L’école dans la ville : ségrégation-mixité-carte scolaire, Presses de Sciences Po., 2007.

 

荒井 文雄

 

 パリ政治学院のM.Obertiは、都市の居住空間や学校施設における社会的格差を主なフィールドとして活動する気鋭の社会学者で、ル・モンドなどの紙誌でも、「学区制(carte scolaire)」の問題を中心に積極的に発言している。表題の研究はまさにこの「学区制」および「学区の学校を回避する行動(évitement scolaire)」を取り上げている。フランスにおける学区の問題は古くて新しい1)。それは、階層の混合を通して社会的結束を維持するという「市民的使命」を持つ一方、「社会的平等」と「選択の自由」という原則が衝突する局面ともなる。教育社会学の分野では、学区制は、その導入意図に反して、かえって社会階層間の不平等を拡大する方向で作用していることがしばしば批判されてきた。すなわち、上流階級の子弟が、私立校などを利用しながら学区にとらわれずに学校選択をしているのに対して、恵まれない庶民階級の生徒たちが学区の学校施設に「隔離」されるという倒錯した帰結を生み出したというのである。さらに、学校回避に関しては、しばしば中流階級の親たちが、同じ街区に住む庶民階級を見捨てて、ときには狡猾あるいは不正な手段さえ用いて子どもを学区外の学校に通わせることが問題化していた2)。マスコミでは、中流階級の学校回避を「反共和国的」な行為として指弾したり、あるいは学区制そのものを教育の選択の自由を奪う制度として告発する言説が間歇的に反復され、また、社会的不平等や「郊外」や「暴動」等の問題と関連して、しばしば政治的な論争の主題ともなった。最近では、「学区制の廃止」がサルコジ大統領の選挙公約であり、2007年度は公約にそって学区制を緩和する措置がとられた。

 このような状況で、Obertiの研究は以下の点で注目に値する。

 Obertiは、都市社会学と教育社会学両方面からのアプローチを取り、学校回避の問題を居住区の社会学的現実と結びつけて考察している。その結果、学校回避を最も頻繁に行っているのは中流階級ではなく、上流階級であることが明らかになる。確かに多くの場合、上流階級は住宅価格の高い居住地に住み、居住地の選択を通してすでに等質的な教育環境を手に入れている。そうした自治体には評価の高い公立校や私立校が多く立地し、学校選択に困らないことが多い。しかし、いったん階層が混合する自治体となると、上流階級は中流階級に比べてはるかに高い比率で学区の学校を避け、自治体外の学校に子どもを通わせるのである。こうしたデータを得ることができたのは、ObertiHauts-de-Seine県に属する自治体について、居住者の社会階層と、社会階層ごとの学校回避(自治体外の学校に通っている生徒の比率)とを関係づけて考察したからである。特に、同県内で対照をなす二つの自治体、すなわち低家賃住宅街区に住む庶民階級の住民で特徴づけられるNanterreと、持ち家政策を通して上流階級の住民を集中させたRueil-Malmaisonとの比較検討は、二つの自治体の歴史的・政治的背景も含めて多くの興味深い事実を明らかにしている。こうした調査を通して明らかになったもう一つのきわめて重要な事実は、上流階級が大多数を占める恵まれた居住区の学校が、多くの選択科目・コース等を設けているのに対して、庶民階級地区の学校では教育選択の可能性がはっきりと劣っているということである。教育機会の供給という点で共和国の学校はまったく平等ではない。上流階級の学校選択は、豊富な選択肢の中から、もっとも確実に「勝ち組」となるための方策を選択することなのである。

 Obertiの研究の第二の特徴は、上述したような統計的(量的)研究に加えて、いわゆる「質的」アプローチをも取ったことにある。このために、220回におよぶ詳細な面接調査を実施し、ひとくちに「学校回避」と言われるものが、当事者にとってどのような内実を持つかという問題に迫ろうとしている。その結果、中流階級の学校回避について、上流階級のそれとは異なった特徴が明らかになった。すなわち、上流階級が学校選択を通してひたすら「学歴的勝ち残り」を追求するのに対して、中流階級はむしろ「人並み」で「普通」の教育環境を求める。中流階級の親の多くは、学区の学校を回避して遠くの学校に通うことが子どもの「生活の質」に悪影響をもたらすと考え、また、地域と同様、学校内でも「適度な」階層混合が子どもたちにとってプラスに作用すると捉えている。しかし、こうした親たちも、学区の学校の階層(人種)混合の比率が自分たちの許容範囲を超えたり、学校で暴力的な出来事(その噂)があると態度を一転させ、学校回避に走る。子どもの「安全」そして学力の点でハンデを生じかねない「問題のある学校」を避けるのである。上流階級とは異なって、中流階級の学校回避は「特定階層(人種)の人々を避ける」という動機から生ずるのではなく、学歴社会の中で合理的に行動する点に特徴がある。上流階級ほど経済資本を持たない中流階級は、限られた学校選択の可能性の中で自分たちの社会的ステイタスを維持するために、自らの文化資本を子どもに引き継ぐ必要があるのだ。また、中流階級の学校回避の対象となる学校の性格にも注意する必要がある。すなわち、それは庶民階級地区にある「評判の悪い学校」なのではなく、むしろ社会階層が混合する学区内にあって中流階級の生徒が多く存在する可能性のある学校なのである。このことは、庶民的環境からの離脱を求める中流階級の学校回避が、特定学校の「ゲットー化」をもたらすとする中流階級指弾の論理が誤っていることを示している。Obertiを引用すれば、「中流階級がまさに社会の中間に位置するという理由だけで、特定学校施設の排除の責任を彼らに負わせることこそが間違いなのである。」(p.284)

 中流階級の学校回避を動機づけるもう一つの要因は、教育機会の供給に関する不均衡である。上述したように居住地域の性格によって、教育供給には歴然とした差異が存在する。居住地が「ブルジョア的」であると、そこには評価の高い公立校・私立校が多く立地し、それらの学校には外国語をはじめとする選択科目やコース制、フレキシブル時間割など多くの選択肢が存在する。それに対して庶民階級地区に「隔離」された学校では学習遅滞生徒に対する補助教育に力を入れるという「専門化」が進行している。このような明白な学校格差を目の当たりにして、正規雇用の削減等の厳しい雇用情勢を背負った中流階級が、社会的転落の危機感から学校回避に向かうことは十分に理解される。

 しかし、これほどの「隔離」と「学校間格差」を放置しておくことは、フランス社会の結束性を失わせ、2005年秋の「暴動」のような危機的な状況を生み出すことにつながる。学区制に本来の目的を取りもどすためにObertiは以下の改革を提案する。まず、(1)立地地区の条件にかかわらず、教育課程を学校間で均一化する。外国語・コース等の選択肢を同一にするとともに、補助教育課程をすべての学校に設ける。この施策を通して、多くの選択科目や教育課程を設置する学校と、補助教育に「専門化」した学校との格差をなくす。ついで、(2)「学区」の範囲を拡大する。異なった社会階層の生徒を混在させるという目標は、居住地がはっきりと差異化され、かつ学区がその差異化された空間に基づいている限り達成は難しい。むろん、居住地の「隔離」を解消することが最も重要だが、学校教育に直接にかかわる点では学区の拡大は有効である。さらに、(3)公的補助を受けている私立学校を学区制の中に組み込む。ほとんどの私立校が公的資金の恩恵を受けているので、学区設定の対象に私学をも組み込むことは正当化される。また、上流階級が私立校を利用することで公立校を回避している現実を考えると、私立校を学区制度に組み込まなければ、学区を拡大しても「階層の混在」の実現が阻まれることになる。

 これら三つの提案は、この研究が説得的に記述した学校回避と特定学校施設の「隔離」の現状から自然に導き出される極めて正統的なものである。しかし、それはこれらの政策が容易に実現しうるものであるという意味ではない。それどころか、どれも実現するには相当な政治的意思と国民的合意を必要とする政策である。また、これらの政策は、自己責任と市場原理に基づく新自由主義的教育政策をとるサルコジ大統領の「学区制廃止」路線とも衝突する。しかしながら、Obertiが繰り返し述べているように、2005年秋の「暴動」が明らかにしたきびしい現実を重く受け止め、フランス社会の危機的な状況を改善するには、この研究が明らかにした状況に正面から立ち向かう必要がある。そういう意味で、本書の末尾のメッセージは決して誇張ではない。「単純な区割りを超える方向で学区制を再定義するという作業は、フランス社会の構成者すべてにとって、社会的結束の実現にむけた自分たちの責任とコミットメントを、実際の行動において検証する試金石となるであろう。」(p.285)

 稿を閉じる前に、この研究の限界となる点を指摘しておきたい。この研究の量的部分は既存の統計に依存するために、学校回避の実数を「自治体外の教育施設に通学している生徒」の数に基づいて予測した。したがって、同一自治体内部での学校回避の現状は捉えられていない。また、「中流階級」として一括された階層内部には、様々な職業カテゴリーが含まれており、学校回避に関しても異なった行動をとることが予想される。これらのよりきめ細かい変異を捉えることが、学校回避の社会学にとって今後は不可欠であると考えられる。最後に、データが豊富で主張も明快な反面、記述に反復が多く、論旨の展開がやや冗長な箇所が散見することが惜しまれる。

 

1) 「学区」の問題を概観するには以下の優れた研究が有益である。

藤井佐知子(1999)「フランスの学校選択制度」、藤田英典編、『教育学年報7、ジェンダ−と教育』、世織書房、pp.399-421

2) 例えば、Agnès Van Zanten, L’école de la périphérie. Scolarité et ségrégation en banlieue, (Paris, PUF, 2001)の第3章および第4章を参照。