第一次徳之島洞穴調査報告


第一次徳之島洞穴調査は4大学1団体によって1996年3月の2週間、鹿児島県大島群島徳之島で新洞(未だ発見されていない洞窟)調査を目的に行った合宿です。このページは報告書『「第一次徳之島洞穴調査報告書」1996年7月発行』より抜粋して掲載したものです。調査参加大学は以下に示します(50音順)。

        愛媛大学   学術探検部

        岡山大学   ケイビングクラブ

        京都産業大学 探検部

        高知大学   学術探検部

        地底旅団暗黒大魔王

 



目次

はじめに

第1章 活動記録

第2章 調査報告

洞穴リスト

洞穴記載

第3章 洞穴測量図

第4章 おわりに

     参考文献 渉外 謝辞

 



はじめに


 鹿児島県奄美群島徳之島は、最近では日本中のケイバーが良く訪れる沖永良部島の北隣に位置している。  この島の地質は、北部や山岳部を占める奄美古成層と南部の琉球石灰岩帯に大別でき、沖永良部島と同様に相当数の鍾乳洞の存在が予想される。実際に、1964年の愛媛大学学術探検部に始まり、1970〜1993年までの九州大学探検部による数回の調査により、総延長2052mの銀河洞を含め、30程の鍾乳洞の存在が確認されている。それでも、ハブの生息地であるという理由からであろうか、沖永良部島に比べて十分な調査が行なわれたとは言えず、又、沖永良部島でさえ現在でも新洞の発見が後を絶たないことから、徳之島に関しても、大規模な洞の存在が期待できるのではないだろうか。  今回は、初めて徳之島を訪れる者ばかりで、ゼロからのスタートであった。そのため、十分な成果は得られなかったが、当初予想していたよりも有意義な一歩を踏み出せたと思う。ここに、その成果を報告する。我々も、このような調査を継続していくつもりであるが、より多くの人々によって、この島の継続的な調査が行なわれることを切に希望する。


第1章

 

 

活動記録

 

 

3月1日

    役場へ挨拶にいく

    役場の方の案内により、洞口の下見に行く

    ウチニョウ下の穴、上の穴下見

    ダムの穴下見

     (のちに、既知の上喜念西の穴であることがわかった。)

    聞き込み調査(西伊仙地区)

3月2日

    歴史民族資料館の義氏と洞口の確認にいく

    ヨヲキ洞穴 下見

    中部ダムの穴の洞口確認できず

    銀竜洞確認

    銀竜洞の上のフキ(竪穴)洞口確認

    小島の暗川確認

    西秋城名のシンバルで3洞穴を確認

    カマントー(義氏の畑の下)装備不備のため洞口確認できず

3月3日

    面縄中学の裏のイヨウ(横穴)確認 3mで終わっていた

    聞き込みによりヨンマイ洞 洞口確認

    清瀬商店の方に鍋ンヨウを案内していただく

    聞き込みでMDCS(Mountain Dust Cave System)の情報を得る

    MDCS洞口確認 探検

    MDCSの続きの洞口確認 探検

    義名山運動公園周辺を調査

    (後に、鹿児島大学が調査していることがわかった。)

    体育館周辺を調査

    森本様宅裏のフキは開発により消失していることを確認

    農業高校裏のイヨウ洞窟確認 多数の人骨有り

3月4日

    ヨンマイ洞入洞探検班;鈴木、福島

    測量班;水本、吉冨、菊地、加納

3月5日

    役場の教育委員会の方に話をしに行く

    ヨンマイ洞入洞 測量の続き

3月6日

    大島新聞社の米良氏に取材を受ける

3月7日 

    役場で竜口とコンコロ畑の穴の情報を得る

    竜口洞口確認 探検 

    コンコロ畑の穴到着 入洞 測量完了

    犬田布岬着 コーヒー店で話を聞く

      

3月8日

    「潮風」編集長の水野修氏に会う

    鍋ンヨウ上流部分を探検(吉冨 鈴木 菊地 水ノ上 中村)

    第三洞口発見 ハブに会う

 鍋ンヨウは既知のケンプクドブ穴である可能性が非常に高い

    新聞記者からの情報のユンボ穴を探検 

開発によって崩れた閉鎖洞であった

 

3月9日

    「潮風」編集長の水野氏に会う

    ウチニョー上の穴、下の穴測量(ゲジゲジ兄穴、弟穴)

    上の穴(大岡 水本 吉冨)

    下の穴(水ノ上 中村 菊地 福島 加納)

    暗黒第一洞の近くまで行くが、洞口確認できず

3月10日

    暗黒第一洞洞口確認 洞口2個確認

    暗黒第一洞は既知の上喜念西の穴ではないかという疑いが出る

    徳和瀬の谷で3洞を確認 谷の上流から第1、2、3洞とする

3月11日

    徳和瀬第1〜3洞探検

    徳之島町役場で徳和瀬の地図をいただく

    中部ダムの穴は崖崩れで埋まったとの情報を得た

    ミャードバル確認

    海食洞浸食が激しくほとんど洞をなしていない

    清水さんと会い 近所の松本さんと海風洞の洞口確認に行く

3月12日

    松本さんと畑の穴の洞口確認に行く 吉冨入洞 埋まっている

    松の下のフキ確認できず 再調査の必要有り

    得岡さんと亀山さんと上代跨洞の洞口確認

    亀山さん宅の穴は埋まっていた

    洞の天井が全て崩落したような場所を確認

    伊仙中学校校長の岡村先生に話を聞く

    電話で義さんに中間報告をする

3月13日

    ヨヲキ測量

    前半部分水本 吉冨 中村 後半部分 水ノ上 福島 加納

    鈴木 四本さんと中部ダム周辺の洞口確認

    上代跨洞 測量

3月14日

    撤収

    挨拶回り 解散

 

 


第2章

調査報告

1996年3月1日から2週間、鹿児島県大島郡徳之島において洞穴調査を行った。  第1次隊の隊員の中に徳之島の経験者がおらず、また現地のことは現地の方が一番詳しいという考えで隊員全員が一致し、調査方法として現地の方への聞き込み調査という方法を中心に進めた。その結果、45の洞穴の情報を得、11個の洞穴を発見、確認し、さらに6個の洞穴については測量を行った。  現在までの調査を総合すると、徳之島町亀津、伊仙町喜念、目手久、上検福、小島、天城町浅間に洞窟密集地域が在る事が解る。〔第1章洞窟プロット図参照〕しかしこれは、広く石灰岩帯が存在することを考えると、不自然な印象を抱かざるを得ない。今回の我々の広範囲な聴き込みから、やはりその「空白地域」に鍾乳洞の存在が確認できた。

[亀津] 愛媛大学学術探検部の報告と、今回発見した3つの新洞を含め、7つ鍾乳洞が確認されているが、岩帯の幅が狭いので、大きな洞の存在は期待できない。

[目手久から伊仙にかけての、海抜100m以下の地域] 石灰岩の発達が悪く脆いため、大きな洞の発達は期待できない。また、土地改良などにより埋められた洞も多数ある事が解った。

[犬田布] 小島地域と同様、竪穴の存在が確認された。また、小春や鹿浦には湧泉が多数存在することから、大規模な洞の存在が期待できる。

[下原(シンバル)] 今までは未調査地域であったらしく、鍾乳洞の存在は全く確認されていないが、 今回、数個の洞と 湧泉の存在を確認した。
 今回調査した洞穴は、以下の洞穴リストに示した。クリックすることにより、詳細が見られます。

洞窟名

発見(確認)日

所在地

総延長(m)

1ヨンマイ洞

1996.3.3

伊仙町面縄

212

2ヨヲキ洞穴

1996.3.2

伊仙町義名山

298+α

3コンコロ畑の穴

1996.3.7

伊仙町犬田布

121

4上代跨洞

1996.3.12

伊仙町大字

36

5ウチニョウ上の穴

1996.3.1

伊仙町目手久

60

6ウチニョウ下の穴

1996.3.1

伊仙町目手久

51

7ユンボの穴

1996.3.8

伊仙町佐辨

──

8徳和瀬第1洞

1996.3.10

徳之島町徳和瀬

──

9徳和瀬第2洞

1996.3.10

徳之島町徳和瀬

──

10徳和瀬第3洞

1996.3.10

徳之島町徳和瀬

──

11MDCS

1996.3.3

伊仙町面縄

──


第3章

洞穴測量図


第4章

おわりに


参考文献

浦田 健作(1986) :奄美群島徳之島銀河洞ケイブシステムの形成 J.speleol.Soc,Japan、11、34-42 鹿児島大学探検部(1980) :伊仙町義名山地区鍾乳洞調査報告書、 義 憲和(1995) :徳之島の自然、伊仙町歴史民俗資料館編 徳之島の自然と文化、1-19 九州大学探検部(1970,72,74) :奄美群島鍾乳洞調査報告書、1-14 九州大学探検部(1979) :奄美群島徳之島の洞窟、洞人、1、(2)、2-9 九州大学探検部(1984):奄美群島徳之島の洞窟(3)、洞人、5、(3-4)、47-66 森 徹、大西 亮、深道 建次郎、吉岡 賢治(1980):奄美群島徳之島の洞窟(2)、洞人、2、(2)、10-15 山内 浩(1965) :愛媛大学琉球列島総合学術調査報告、12-13 吉村 和久、井倉 洋二(1981):徳之島、与論島、喜界島の洞窟、洞人、3、(1)、22-29


渉外

面縄コミュニティーセンター 管理 伊仙町東公民館 ウ891-81鹿児島県大島郡伊仙町面縄1984エ0997-86-2374 伊仙町役場企画課 ウ891-82鹿児島県大島郡伊仙町面縄1842エ0997-86-3111 レンタカー  松山石油レンタカー エ0997-82-1053 沖縄ハブ研究所エ098-946-6710 大島運輸(大阪南港)エ06-341-8071


謝辞

伊仙町役場、大島新聞徳之島支局の方々、上木 久市氏、岡村 隆博氏、亀山 良夫氏、 義 憲和氏、栄 清秀氏、清水 鼎亮氏、清水 盛文氏、徳岡 誠二郎氏、松元 哲二郎氏、 水野 修氏、水本 博人氏、芳村 健吉氏、四本 延宏氏、コーヒーショップ一騎のマスターには、現地での調査に並々ならぬ御協力を頂いた。 浦田 健作氏、中川 哲人氏、矢野 亨氏、近畿大学文化会探検部二宮 彩氏には、事前の資料集めに御協力を頂いた。 森住 貢一氏には、安全面でのアドバイスと緊急連絡先をして頂いた。 その他、今回の計画において、我々が関わったすべての人々に、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。